人は時に疲れることもあります。瞑想である程度の状態になったとしても、日によって調子が良いときもあれば悪い時もあります。
しかしながら、私の本質は常に清浄でカルマに左右されない存在なわけです。
それはヨーガやヴェーダンタではアートマン(真我)と説明されていて、絶対的な至福だとか永遠にあるもの、として説明されています。
それは基本的には不可知のものとされていて、人間の奥底に隠されて眠っています。
それを明らかにして顕現されることがいわゆる修行であったりするわけですが、そうして現れてきたアートマンが絶対的な至福だったり永遠だっとしても、それとは別の階層においてタマスな愚鈍な性質というのは人間の意識のレベルで発生したりします。
そのタマスな愚鈍な性質は私の本質であるアートマンを覆い隠すような性質があって、意識が曇ってしまったりすることもありますけど、私の本質であるアートマンは常に清浄で、肉体のレベルであるタマスな愚鈍な性質を取り除く、いわゆる浄化をすることで清浄な状態を保つことができます。
それは、アートマンを綺麗にするということではなくて、アートマンはもともと清浄で永遠のものですけど、それに付着しているタマスなもの、いわゆる無知とか言われている性質を取り除くことでアートマンの本来の性質である清浄な状態に戻すわけです。
アートマンが本来は清浄であるから何もしなくてもいいというわけではなくて、その上に被さってしまっている愚鈍な性質のタマスを取り除くためには行為が必要というわけです。
その行為は流派によっては修行と言ったり、あるいは、流派によってはダルマによる義務だとか言ったりしますけど、同じことだと思います。