ある程度のスピリチュアルの基礎が出来て、他人のオーラがわかったり(見えるとは限らない)、オーラを感じることができて、他人の心の声や守護霊の声あるいはハイヤーセルフの意思が多少なりともわかってくると、往々にして日本神界の神々に目をつけられることがあって、それがスピリチュアルな成長の1つの落とし穴になるような気が致します。
日本神界の神様は自分では肉体を持っていませんから、自分の意思を伝えることができて、しかも、実際に行動することができる「しもべ」を求めています。
神様ですからそれなりに精神性が高く、昨今の基準で言えば「覚醒」はしており、ある程度の悟りもあるにはありますけど、本質において最終段階の悟りを得ているとは限らないのが神様たちです。
こんなこというと不快に思う神様もいると思いますのであまり言いたくはないのですけど、悟りという意味であれば、最終段階の悟りを得ている神様はそうそういないのでは、というのが実感です。
まあ、こんなこと言っても「何を言っているんだ」と思われるだけな気もしますのであまり言いたくはないのですけど、神様とは言っても、徳の高い人間と似たようなものです。その人を悟っていると言うかどうかは悟りとは何かという定義によりますし、人間としての一応の最終的な段階の悟り(それ以上ももちろんありますけど)をそのように崇められている神様が得ているかどうかで言うと、必ずしも最終的な悟りを得てはいないのが神様です。
神様と言っても、徳の高い人、みたいな感じの人が大勢います。
特に日本神界はそんな感じで、いわゆるあの世にある「いわゆる神界(=日本神界)」は、言ってしまえば、いま日本で生きている育ちの良い家庭とか伝統的な地域社会そのものです。日本神界から日本に転生してきている人がかなり大勢いますので、雰囲気も似ています。
日本の国土にはそれ以外の人もいますからごちゃごちゃしていますけど、日本神界の雰囲気は日本の伝統的なコミュニティそのものです。
そのようなところに生きている人・・・、いや、体を持っていないので死んでいるとも言えますけど、肉体はなくても意識体としては生きている人、魂というか幽体として生きている人たちがいるわけです。
それは怖い世界ではなくて、割とこの地上と同じです。普通にみんな楽しく暮らしています。お金の制約がなくなった分、気の合う人達と一緒に暮らしていますのでみんな笑顔です。
そんな日本神界がありますけど、昔の日本を思い出せばわかりますけど、気性の荒い人もいたかと思います。割とそんな人が日本の神様なんですよね。土着の神様と言いますか。最近流行りの鬼滅の刃に出てくる鬼殺隊も荒っぽい感じですけど、割と雰囲気が似ています。
スピリチュアルである程度の微細な感覚が発達してくると、そういう存在から目をつけられるのです。
そして、そのようないわゆる「神様」からコンタクトがあって、神様の指示で特別な儀式とか指示されると有頂天になって「私もついにここまで来たか」と勘違いしてしまうのですよね。
生まれながらにネイティブで知っているわけでもなくて、たまたまコンタクトしてきた存在が本当に神様かどうか、どのように判断しているのでしょうかね? 良い波動と思えたとしても、ふりをしているだけかもしれませんしね。 そこまで見抜けないのなら儀式とかするべきではないと思いますし、見抜いて本物の神様だと思ったとしてもそれすらもフリで、騙されているだけかもしれませんしね。見えない存在の方が何倍も何倍も上手です。
ここが、スピリチュアルにおいて一つの山場になる気がいたしますね。
このようないわゆる「神様」に囚われると、往々にして神様に「使い捨て」にされます。儀式とかさせたり、言葉を下ろしたりして最初は良くても、エゴが育ってきたり儀式の後遺症あるいは儀式を妨害してくる存在との戦いで疲れたりして使い物にならなくなったら神様は離れていきます。能力者で神様に使い捨てにされたり、あるいは、神様と名乗る変な存在の欲望を叶えるために延々と煽られ続ける、みたいな状態に陥っている人をたまに見ます。
日本神界の神様はとても力強くて、守護霊もそれなりのレベルにないと守護霊が怖気づいてしまったりもしますからね。そうなると日本神界の神様の思うままに使われてしまうわけです。
別にね、本人がそれでいいと思うのなら何をするにせよ自由がありますので好きにすればいいというのが基本ではありますけど、あまりにも日本の神様に使い捨てにされている人が多いと、なんだかなぁ、という気が致しますけどね。
あまりそういうのに関与せずに、もっと高い悟りの状態を目指した方がいいと私なんかは思いますけどね。
スピリチュアルでよく言われていることですけど、自分の波動と同じくらいの存在と繋がる、というのは真実です。日本の神様に繋がるということは自分のスピリチュアルなレベルがそれなりに成長したということで喜ばしいことではありますけど、実際のところ、日本の神様は最高のレベルにあるというよりも、日本の神様は徳の高い人、という感じなわけです。
人には色々な成長度合いがありますから、今生ではここまで、というのがあります。その視点から見て今生では自分の成長段階において勉強になる日本の神様とかかわり合いを持とう、と決めて生まれてきている人もいて、それはそれで好きにすればいいと思います。
ただ、今生でそれなりの悟りを求めていて、実際、自身にそのような素養があって、計画でもそれなりの悟りを求めようと思っている人が日本神界の神様の、いわゆる「徳の高い人」のレベルの神様と関わり合って留まっているとしたら、それは停滞でもあるわけす。
この、日本の神様というのはとてもパワフルで、言葉も男らしくて、女性の神様にしてもエネルギーがあって美しさと強さを兼ね備えていますから、日本の神様から接触されて、しかも、何かお願いされたら有頂天になるのも無理はないかもしれません。
嘘っ子で神様のふりをしている存在もいれば、一方で、本当の神様というのもいて、どちらにしても、自身のスピリチュアルな段階に近いものが現れます。
そのような存在と、あまり関わらないことですね。それが基本です。
神様とかいうと特別な存在に聞こえてしまいますけど、他人と一緒ですよ。仲のいい友人もいればそうでもない友人もいて、用事がある時だけ関わる人もいます。
徳の高い人と接するのと同様に神様と接すればいいわけです。
であれば、自身のスピリチュアルな成長のためにはそのような人と必要以上に接したりその人の願いを聞いて儀式をして、みたいなところはほどほどにしておくべきなのかなと思います。
ヨーガの経典であるヨーガ・スートラには、ヨーギが悟りに近づくと神様が近づいてきて誘惑をするのでそれを退けなさい、という節があります。それは真実なのだと思います。
まあ、退けなさい、というのはやりすぎにしても、時と場合において、知人と接するように神様とも接すればいいと思います。何でもホイホイ聞いてあげるのではなく、それが何をもたらすのか、とか、何故自分がすべきなのか、とか、相手を日本の神様だからといってことさら特別視する必要はなくて、とは言いましても徳の高い存在ですので願いを叶えてあげたいという気持ちが生じるのは自然のことで、何かしてあげてもいいのですけど、それは現実で知人や徳の高い人からお願いされて行動するのと同様に節度を持って行動すべきなのであって、日本の神様の言う通りに何でもしてあげるべきとかそういうことではないのですよね。
このあたりを超えられるかどうかがスピリチュアルな成長において一つの山場になっているような気が致します。
迷ったら、自分の守護霊に聞くことですね。それが基本で、ハイヤーセルフの声が聞こえるならそれをしても良いです。もっと直接的に知るには幽体離脱するのも一つの手かもしれません。
そのような場合でも、特に儀式とかそのあたりは、気安くするべきではないと思います。とは言いましても、神様からコンタクトがあって行動してしまう人は自信家だったりしますから自分は正しいと思って行動しているのでしょうから言っても無駄ではあるかもしれませんけどね。確かに正しい儀式というのはありますけど、そうでもない儀式もあったりします。
まあ、悩むならやらないことですね。と、同時に、躊躇するくらいならすべき、という面もあります。行動すべき時に悩んで行動せずに失敗した、ということもありますし、逆に、悩んで行動して成功した、ということもあります。ですから、言葉ですとなかなか表現しにくいのですが、そのうち何が正しいのかわかってきますよ。
最初は何が正しいかも分からないかもしれませんけど、正しいのは何かがわかってきて、そうすると、もう神様とかと関わり合いがなくなってきて、頼られなくなります。というのも、もっとコントロールしやすい人は世の中に大勢いますからね。
もっと言ってしまえば、儀式とかして世の中に貢献する場合は生まれた時から自覚していることが多くて、そのようにネイティブで最初からスピリチュアルなことがわかっている人と、生まれた後にスピリチュアルで多少成長したくらいで日本の神様と自称する存在からコンタクトされて有頂天になる人とは雲泥の差があるわけです。
まあ、最近は人材不足ですのでそのような人も使わざるをえない状況というのもある気も致しますね。でも、基本は上に書いた通りですので、あまり日本神界の神様とかと関わらない方がいいと思います。とか書いても、実際にコンタクトしてきたらとてつもなく魅力的に見えたりするので言っても無駄なことも多いだろうなとは思いつつも、一応書いておきます。
日本の神界の神様はいわゆるカミナリオヤジみたいな感じで、ドスが効いていて、いわゆる神様のイメージとはちょっと異なりますから、生理的に受け付けない、という人はそのように拒否すればいいだけだと思います。
スピリチュアルな団体に日本神界の神様が接触してきて雰囲気をまるっきり変えたり教えを変えたり・・・ ということも割と起こります。
このあたりがスピリチュアルの一つの危機なのですよねえ。