瞑想をすれば普段の生活が楽になる

2021-04-27 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

マインドフルネスだとかサマーディだとかヴィパッサーだとか大層なことを言わなくても瞑想をすれば日常の普通の生活が楽なものになります。それだけでも瞑想をするメリットがあると思います。

重い沈むような気持ちや不快な感情および繰り返し浮かび上がってくる憎悪や不快な気持ちなどが瞑想をすることによって徐々に解消されてゆき、やがては日常生活が快活で心地のよいものに変わってゆきます。

仕事の成果だとか頭の回転だとか超越意識だとか小難しいことを言わなくても、それだけでも瞑想をするメリットがあると思います。

瞑想の最初はこうした不快な気持ちや感情および疑念の思いの繰り返しに直面しますので苦しい面もあるのですが、やがてはそれらが解消されてゆき、快活な快適な気持ちに変わってゆきます。

座っての瞑想それ自体が難しいのであれば、仕事に集中する、という手もあります。それもまた瞑想への準備になって、極度の集中というのは瞑想の一形態でもあります。職人が仕事に熱中したり、コンピュータエンジニアがプログラミングに集中することで瞑想状態に近くなって深い歓喜を感じたりします。アスリートが言う「ゾーン」という言葉に近いものがあります。

そのゾーン状態そのものは瞑想状態の一形態ではあるものの本来の瞑想はもっと穏やかなもので静寂および静かな深い歓喜に満ちたものになります。その状態で日々を過ごすことで気持ちも穏やかに生活することができるようになるわけです。

朝は朝日が美しいことをそのまま感じる。
花が綺麗に咲いている。
山の連なりに雲が幻想的にかかっている。
空がとても青い。

そんな単純なことが瞑想状態であるわけです。

それは、聞けば「当たり前」であるかのように思えて「当たり前ではない」状態で、ありのままにこの世を感じられているのが瞑想状態であって、聞いて当たり前だと思うことと実際にありのままの状態に生きることとは異なるわけです。

聞いて当たり前だと思うのは思考のお話であって、実際にありのままを感じるのは思考よりももっと深いところで感じることのお話です。感じられているかどうかのお話が瞑想かどうかというお話であって、思考でその通りとわかるかどうかのお話ではないわけです。もちろん思考は準備としては有用ですけど瞑想状態としては感じられているかどうかのお話になるわけです。

そうして、単純な当たり前のことをが当たり前に感じられるようになることが瞑想状態であるわけで、そうなれば不快な感情にあまり振り回されることなしに生きることができるようになります。それはもちろん程度問題ではありますけど瞑想をしていない頃と比べて他者に煩わされることが劇的に少なくなるわけです。

瞑想を始めるまでは他人から何か言われて不快に思うと何日もそのことが頭の中に残って次にあったときに仕返ししてやろうとか思う人はそこら中にいて、親戚や知人および同級生などとの面倒な付き合いが延々と繰り返されているのがこの世の中です。その面倒なループから抜け出す手段が瞑想であり、多くの人が瞑想をすることでそのループが断ち切られて人々が快適に暮らすことができるようになるわけです。

瞑想をすることで頭の回転が良くなったりスポーツのパフォーマンスが上がったりとかいう副次的な効果はありますけど、これらの何気ない普段の生活の変化の方がより重要に思います。