他人の怒りを感じる


他人に意識を向けたり、あるいは、自分に対して意識を向けられたりすると他人の怒りを感じることがあります。

それは、内なる自分自身の怒りとは異なるものです。

スピリチュアル的にまだ成熟しておらず心が不安定な場合は相手の怒りと自分の怒りとを見分けることができませんので全て自分の怒りとして受け取ってしまうことが往々にしてありますけど、実際には怒りやフラストレーションは相手のものであることもかなり多いので、相手の怒りを自分のもののように勘違いする必要は全くないのですよね。

一時的に相手の怒りを感じたならばすぐに離れればいいだけで、向こうが一方的に自分に対して怒りを向けているのならばそのまま無視して去るのを待つのが基本で、しばらくすれば興味を失って去っていくことがほとんどです。

誰かが一方的に自分に対して怒りを向けてきた時は無視が正しい判断だというのは古典や仏教などでも言われていますが、その理由としては、このように、意識が怒りを伝搬するからなのですよね。

こちらが相手に対して何か考えるとその意識は相手に繋がりますから、その相手は私のことを考えて、それが怒りの感情であれば怒りが再発し、その怒りは私の方へと再度やってきます。

2人の間でテレパシーによる怒りの増幅みたいなことが行われることもよくあります。もちろん離れていてもこれは行われます。距離はあまり関係ありません。

相手の怒りは私はどうすることもできませんから、ほおっておくしかないわけです。ですから、古典の聖典や仏教などでは怒る人に対しては無視をしましょう、と言われているのです。

(1-33) 友情、慈悲、喜ぶこと、無関心。(中略)もし思いの対象が不幸なものであれば、それに対し、慈悲深くなければならない。もしそれが良いものであれば、われわれは喜ばなければならない。それが悪いものであればわれわれは無関心でなければならない。「ラージャ・ヨーガ(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著)」

聖者であればもしかしたら愛を送るとかそういうこともあるのでしょうけど、一般人からしたら無視が基本でいいと思います。と言いますのも、怒りの対処は基本的に自分自身がすべきで、怒りの後始末を他人がしてしまうと十分に学べない時もあるからです。怒りが増幅して手がつけられない時に介入もありかなとは思いますけど基本はほおっておくのがいいと思います。