情の上と下は一見すると同じように見える

2021-05-25
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

日本は情の国で、ハートの愛ももちろんありますけど、どちらかというと情が支配している国のように思います。

情はある人にはありますし、一方、ハートの愛もある人にはあります。

一方、どちらも、ない人にはないですし、ない人に情は理解できませんし、ハートの愛も理解できません。

情があるかないか、あるいは、ハートの愛があるかないかは一見するとそれ単体でお話がされますが、ここには階梯があって、情がないところから始まって情に入り、情からハートの愛に変わってゆき、ひとまずはハートの愛が最終地点と考えて良いと思います。

そして情がこの日本の国のメインの感情になっていますから、情を中心として、情がない状態から情そしてハートの愛、という3段階があるわけです。

1.情がない状態(の人)
2.情(の人)
3.(情が昇華して)ハートの愛(を持つ人)

この時、よく分かっていない人が見た場合は1番と3番が割と同じに見えるのです。ハートの愛は情と時々混同されますが、ハートの愛は全てを包み込むようなワンネスの愛ですから、時に厳しいこともします。情でためらうようなことであってもハートの愛から必要なことでしたらためらいなく行うのがハートの愛です。

ですけど、ハートの愛は一見すると非情のようにも見えることがあります。実際、情を卒業していますので文字通り「非」の「情」ではあるのですが、残虐というわけではなく、ただワンネスの厳しさを持っているわけです。善も悪も兼ね備えた厳しさがハートの愛にはあります。

一方、情がない人の場合はいわゆる唯物論的な立場を取ることが多く、情というものが理解できませんし、ルールで決まっていなければ何をやってもいいという機械のような考え方をしますし、ましてやハートの愛が何なのかを全く理解することができないわけですが、それでも、非情という面においては意外にハートの愛と時々似通った性質を持つことがあるのです。

それが不思議なところですが、情から離れているという意味においては情がない人もハートの愛も割と同様で、割とロジカルに行動できるのが両者の共通点です。

ですから、唯物論者が物事を数字だけで考えて仕組みを考えることと、ハートの愛を持つ人がロジカルに物事を考えるのは、寄って立つところは違うのですが、意外に同じ手法で分かり合えるところがあったりするわけです。ですけど、根本的な行動原理が違いますから突き詰めていきますと根本の考え方は全く違うのですが、手法としては似ていますので、ハートの愛の人と情にすら達していない人との間で引き合う、という面白い現象が起きるわけです。特にプロジェクトではそうで、情に達していないロジカルな人とハートの愛の人が組み合わさって成功するなんてことはこの世の中には良くあります。非情なジョブスとハートの愛に満ちたウォズニアックの組み合わせがわかりやすいでしょうか。ジョブスを神格化している人は多いですし、禅に興味があったのはいいことですけどアップルの利益を最大化して人々を煽って格差を拡大させた手法は商売としては最高に上手だったとは思いますがウォズニアックが神のようなハートを持っていたことと比べるとジョブスは心が全く貧相だったように思います。アップルが上場するとき、ウォズニアックは持株を従業員に分けてあげましたがジョブスはウォズニアックが何度も説得してもそれを拒否しました。その後も、製品の良さを煽って売り上げを伸ばすことばかりに夢中になり、自分は多少はシンプルな生活を求めたようですけど、結局、病気になって死んでゆきました。多くの人はジョブスを神格化しますけど、ウォズニアックに比べたらとても人格者とは言えない人物です。ジョブスを神格化したければ勝手に神格化すればよくてその人の好きにすればいいのですけど個人的にジョブスの性格には問題があると思っています。

そのように、上と下とが時に同じように見えて、情にすらまだ達していない人が時に素晴らしく見えることがあります。

社会活動家などもそういう傾向があって、ハートの愛を持っている人が活動を支えて、情にすらまだ達していない唯物論者が活動を煽る、という組み合わせもぼちぼち見かけます。そして、情にすらまだ達していない人がリーダーになったり尊敬を得るわけです。不思議なものです。とても興味深いです。

これは、べつに誰が良くて何かが悪いとか言っているわけではなくて、世の中のありようを見ると興味深いということです。

世界を見ると情にすら達していない人々が大勢いて、情に達していなければ唯物論的な考え方にしがみつくことになり、お金が最上という価値観、あるいは自己を守るために他人をコントロールしようとし始めます。日本にも割と唯物論的な考え方の人が増えてきて、情なんていらなくてルールに反していなければ何をやってもいいという考えの人がぼちぼち増えてきていますけど、それはただ単に情を知らないというだけのお話なわけです。

ですから、情というのは大切で、情にまだ達していないのであればまず情を達成して、その後、少しづつハートの愛を目覚めさせてゆけばいいわけです。

これは見る側の見る目も大切で、一見するとハートの愛のように見えても実は情すらも知らなくてハートの愛ももちろん知らない、なんて場合も多々あります。一方、非情のように見えて実はハートの愛から動いている、という場合もあるわけです。

見る目ですね。見る目がなければ何も見えない、ということですね。