オーラの融合によるワンネスは本来のワンネスではない

2021-06-04
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

本来のワンネスとは逆にオーラを自分の近くに留めて発散させずに体の近くに留めて安定させた上で周囲の空間の全てである無限と一体になることです。

一方、オーラの融合によるワンネスとは時間と空間に限られていて、特に近くにいる人とのオーラを一体化させて行うワンネスがスピリチュアルな業界においてよく行われていますけど、それはそこにいる人たちの間におけるワンネスであって本来の意味における根本の無限と繋がるワンネスとは違うわけですよね。

根本の無限は「全て」ですからもちろん私も貴方も知らない人も目では認識していない「空気」としての空っぽの空間や物・物質すらもその全てが本来のワンネスの対象になるわけですけど、オーラの融合のワンネスの場合は特に生きている存在との間における、しかも近くにいる人とのワンネスの融合であるわけです。

これは、そのようなワンネスを否定しているわけではなくて、そういうのもありだと思います。ただ、違います、と言っているだけです。

オーラとしてのワンネスをして起こるのはエネルギーの一体化であり、カルマの一体化です。悩みも苦しみみカルマもオーラを通じて行き来しますので、そうは言いましても全てが一体化するということはなくて一部ではありますけど、それであったとしても、エネルギーと共に一部のカルマが行き来してしまうわけです。

元気だった人がエネルギーを奪われたり、逆に、エネルギーの少ない人がエネルギーの高い誰かからエネルギーをもらって元気になります。

一方、誰かが抱えていたカルマと葛藤の塊が誰かのところに渡ってしまう、ということも起こります。そのような時、スピリチュアルなセミナーなどでオーラとしてのワンネスを体験してその時は素晴らしいと思って身が軽くなったような気がしていても、実際には、そのエネルギーは誰か他の人から貰ったものだったり、また同時に、自分のカルマと葛藤を誰かに受け取ってもらった結果として自分が元気になっているだけだったりするわけです。

本来のスピリチュアルというものは自立を基本としていて、そのようにオーラの融合をせずに自分の問題は自分で対処し、自分で新たなカルマをなるべく作り出さないようにする、という立場を取ります。

ワンネスとか言ってオーラ融合してしまうと何か解決したかのような錯覚に陥ってしまいますけど、実際は、周囲の人に助けられているだけなのですよね。それを良しとして自分の行動や考え方を改めないのならばまた新たな葛藤やカルマを作り出すことになります。

この世の中には秘法としてこの種の技術をうまく使って世渡りをしている人がいて、自分は好き勝手に生きているのにも関わらずカルマや葛藤を誰かに押し付けたり自分でエネルギーを生み出すことができないので周囲の人のエネルギーを奪って一見すると元気に生きている人がそれなりにいますので、その人が自覚的かどうかはそれぞれですけどワンネスとかスピリチュアルとか言ってエネルギを奪おうとしていたりカルマを押し付ける相手を探していたりするような変なスピリチュアルや変な宗教団体には関わらないことですね。

この種のオーラの融合としてのワンネスは家族など一蓮托生の覚悟を決めた場合はそれでもいいとは思いますけど、あまり自覚なしにオーラのワンネスをしない方がいいと思います。

本来のワンネスとは繰り返しになりますけど自分のオーラはむしろ閉じてしっかりと安定させた上で周囲にある「全て」の「無限」と一体になって繋がることです。それは繋がる、ということもできますけど、元々自分とそれらとは一体だったものが何か別物のように感じられていただけで、実際に感覚として離れている感覚はあるのですけど、その何かを求めるということをすれば無限なる全体が自らの方に近づいてきて一体になることができます。それが本来のワンネスなわけですよね。その時、特にハートが輝きます。

オーラの融合の時もそれなりにハートが輝きますけど、オーラ融合の場合はどちらかというと周囲にぼんやりと広がってモヤモヤとした境界がよくわからない感じになって、意識が広がると言えば広がった感じになってオーラが繋がった対象のことが印象あるいはインスピレーション・直感として入ってきます。

一方、本来のワンネスの場合はそのようなオーラ融合としての直感や何かがわかる感覚というものはほとんどないのですが、一方、違った感覚というものはあり、単純に、目に見えない地平線がそこにあるかのように感じられて、それは地平線なのですから遠くのような気もするのですけど地平線が割とすぐそこに見えていて、無限なる地平線が割とすぐそこにある、という感覚になります。そして、この世の何かがわかるということはなくて、単純にそのような無限なる地平線のような全体と言っても良い深遠さがそこら中に広がっている、ということがわかります。

スピリチュアルというと何か相手のことがわかったり見抜いたり、という物珍しい面がよく取り立たされますけど、それはどちらかというとオーラ融合における各種様相のお話で、本来の基本の根源のスピリチュアルにおいてはあまり不思議なことはないのですよね。

禅の道元禅師も「不思議なしの悟り」みたいなことを言っていたと思いますし、本来の悟りの基本は不思議なことがないものなのだと思います。

このあたりは私も30年前から少しづつ認識が変わってきたところで、最初こそは不思議なものに目を惹かれたりもしましたけど、そういった物珍しさは本質とは違うものですので、本質はというと、不思議のない状態こそが根本の基本のお話なのだと思います。