不二の意識により聖典の知識が明確に理解できるようになった

2021-06-22
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

最近のダイレクト感のある内なる意識が目覚めたことにより聖典の記述がとてもよく理解できるようになりました。特に不二の意識のサマーディおよびアートマン(真我)の説明がその通りだと感覚の実感を伴って理解できるようになりました。

と、言いますか、ダイレクト感のある内なる意識というのは感覚で表現したものですけど、それを聖典風の言葉で言い表すと不二の意識とかサマーディとかいう言い方になって、表現は違いますけど同じことを意味しています。

歴史的に、この状態をサマーディとか不二の意識と言っていたということが今となってはよくわかります。

この種のお話はよく神学論争や哲学の議論あるいは宗派論争になりやすいお話ではありますけど、実際に自分が不二の意識であるいわゆるサマーディになってみると何が正しいのかはっきりとわかるようになりますので、特に異論などなくなるわけです。

ただ、そこには分かりやすい記述と誤解を与えやすい記述あるいは言葉が長すぎて本筋が見えにくくなっているお話があったりして、それぞれ特徴はありますけど、それでも真実というものはあるわけです。

例えば、シヴァ派の聖典であるシヴァ・サンヒターの記述があります。

この宇宙万象のうちにアートマンはあまねく行きわたって存在する。アートマンは唯一者にして、実在性と智恵と至福とから成り、充実して、欠けたところが無く、対立するものもたない。(中略)アートマン以外に照明者は無いから、それは自己照明者である。自己照明者であるから、それは光明を本質とするものである。照明というのは意識性のことである。(中略)アートマンには、時間と空間を本質とする限定が絶対に存在しないから、アートマンは誠に完全円満である。(中略)アートマンには滅亡が無いからアートマンは永遠であって決して滅びることはない。この世界にはアートマン以外のものは存在しないから、常に唯一のアートマンが存在する。それ以外のものは偽妄であって、アートマンだけが実在である。「続ヨーガ根本経典(佐保田 鶴治著)

このように言われてしまうと「なんのこっちゃ」という感じで、あまり関係のない神学論あるいは哲学のお話かなと思ってスルーしてしまいがちですけど、ここには実際の瞑想の境地がそのまま表現されているのです。

この記述は神学論といえばそうですけど机上の空論ではなくて、哲学にも色々あって実在的なものもあるでしょうけど机上の空論系の頭だけで考えた類の哲学とは違っていて、そのような理屈をこねて出されたものではなくて、これらが事実だからこそ聖典に真実として記されているわけです。

この聖典は割と近代に入ってから流派のグルによって書かれたもののようですけど、その根本を辿っていきますとそもそも人間が考えたものではなくて昔の賢者が神々あるいは絶対的な存在(宇宙人かもしれません)から与えられたものを根拠としています。ですから相当に歴史があるわけで、そこには実在の真実が記されているわけです。

これらは瞑想をするうちに実際の真実として実感できるようになるわけです。

具体的には、不二の意識になって意識が体や顕在意識を動かしていることが実感できるとそれがアートマンだということが聖典によって確認できます。

そして、瞑想では輪郭がわかるわけですけれども、その全体像が聖典によって確認できるわけです。

全く実感のない状態で聖典を読むと「ほにゃらら」という感じではありますが、全部とまでは行かないまでも基本的なベースとしての不二の意識のサマーディがある状態で聖典を読むとその記述が真実であることがよく理解できるのです。