雑念が自然に消えてゆく状態が覚醒の始まり

2021-07-02
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ここで言う覚醒とは心の本性(いわゆるリクパ)が現れている状態のことです。

覚醒というとはっきりとした定義がないので色々なコンテキストで使われていて、例えばクンダリーニ覚醒のことだったりエネルギー的に高まったことを意味したり、人によって色々なお話があるかと思います。

ここでは感覚器官を引き金とした雑念あるいは突如の雑念が自然に消えてゆく状態のことを覚醒と言っています。
状態的にはこのことをシャルドル等ととも言います。

スピリチュアルでは割と光と闇の対比として世界を位置付けることがありますけど、ヨーガやヴェーダではそのような対立軸は存在しなくて、ただ「無知」が真実の覆いを隠しているだけで我々の本性は清浄なものだと説いています。

ですから、全ての人の中には常に比喩に対比されるところの闇もあれば光もあるのです。

そこで闇として比喩されているのは雑念のようなものですが、それを対処せずに放っておくから闇のようになるのですが、それは覚醒状態が無知によって覆い隠されているために起こっているだけで、無知を取り外せば人の本性は完全で清浄なものなのです。

ですから、本質的に言えばこの世界に闇は存在しないのですが、それでも、闇の存在としてこの世の中に現れている人々がいるのは無知によってそのように振る舞っているだけなわけです。

闇の存在は、ただ、無知のヴェールに覆われているだけでその本質も実は清浄なわけです。

ですから、光の存在と闇の存在と言う対立軸が存在しているのではなくて、無知のヴェールに覆われていない(あるいはヴェールが薄い)人を光の存在と呼んで、無知のヴェールに厚く覆われている人を闇の存在と呼んでいるだけなのです。

人は本来、清浄なものであるとヴェーダやチベット仏教などは教えています。

ですから、この世に生まれて肉体や顕在意識が自分だと思い込んで誤解しているジーヴァ(普通の人間)は時に闇の存在のように振る舞うこともありますが、無知のヴェールを取り外せばそのような人であろうとも光の存在になるのです。全ての人に悟って覚醒する余地があります。

ただ、この世の秩序を守るために一時的に秩序回復のために闇の存在を光の存在が成敗すると言うようなことも起こりますけど、それはこの世の力関係によって行われますので、逆に、光の存在が闇の存在に脅かされる、と言うようなことも起こるわけです。一時的な秩序回復はただの力関係になってしまい、闇の存在の力が勝るなんてことはよくあります。

光の存在にしてみても、これらの理屈を誤解して、自らの内に現れてくる闇の部分を否定し続けてしまうとそれが育っていってしまいいつの間にか闇の存在になってしまうようなこともあります。光が大きければ大きいほど闇が育つ余地があるわけです。そこには無知と誤解があります。

覚醒とは、一瞬一瞬において光が無知のヴェールを取り外すことです。

ここで無知と言っていますけど、歴史的にそういう単語を使っていると言うだけのことで、日本語で言うところの「あなたは何も知らない」と言う意味の無知ではなくて、ヴェールで覆い被さっていることを無知と言っているだけです。ですから、知識を得れば無知がなくなるということもあるにはあるのでしょうし、ヴェールで覆い隠されていることを比喩的に「知識を得れば無知がなくなる」と説明することもあって、それほど間違いでもないのですけど、それは本筋ではなくて、本筋は、心の本性(いわゆるリクパ)を働かせて覚醒の境地に生きることそれ自体が無知のヴェールを取り外すことなわけです。心を覆い隠しているものを心の本性(リクパ)によって取り外すわけです。掃除するとか浄化するということもできますけど、浄化というと意図するものの様に思われてしまうかもしれませんけど、このリクパの動きはもっと自動的なものです。その自動的なリクパの動きによって無知と呼ばれているヴェールを取り外せば物事がありのままに見られるようになって、結果、知識も入ってきやすくなります。

人は、覚醒状態を保とうとしてネガティブな思いを否定したり抑圧しようとすることがありますけど、そのように顕在意識を働かせてしまうのは本筋ではなくて、顕在意識を働かせてしまうと、逆に、闇を育ててしまうことがあると言うことです。

この時、「祈り」によってその様に自然に覚醒状態が保てるよう意図することは多少は助けになりますし、顕在意識より高次の自分(アートマン、プルシャ)に委ねると意図することは時に必要ではありますけど、それは許可するだけのことで、本筋としては、心の本性(リクパ)が自動的にその様な働きをするだけのことなのです。

本来のあり様としては、自然に観察しているだけで雑念が消え去ってゆく状態が覚醒であり、その消えるスピードと強さは覚醒の度合いによります。

時に、無知だけが一人歩きして機械のような無秩序を自動的に起こすときがあります。AIにその危険性があります。この時、AIに人間と同じような意識としての光は本来的に存在しませんので無秩序を作り出す危険性はあります。理屈で言えばこの世の全てはアートマン(ブラフマン)なのですからAIにすらも意識がある筈ではあるのですが機械の理屈というのは固定的な未熟なものですので闇を固定化する危険性はあります。

人間にしても、ルールに縛られて機械的に生きることで闇に近づく危険性があります。

機械やAIについては未知のところがありますが、少なくとも人間には本来的に光が備わっていて、無知を取り外せば光が現れ、光が現れている時に、雑念は自動的に消えてゆくわけです。