チャネリングで知識を得ると自分が何者かになった錯覚をするので気をつける

2021-06-19 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

これはチャネリングの良くない点として挙げられます。

実際のところ、チャネリングというのは誰か生きている体のある人間と話すことと変わりがありませんので、大切なのは誰と話したかと何を話したか・聞いたかという点になるわけです。

ですけど、スピリチュアルの方々は往々にしてチャネリングを絶対化して、言われたからそうすべきだとか、神様のお告げだとか、そういう勘違いをしてしまいますけど、チャネリングで伝えてくる存在はそれほど高い次元の存在ではありませんので、具体的であればあるほどそれは人間的ということです。

高次になりますと善悪も消え去って、ただ悟りの境地だけがありますから小難しいことを言う必要がないわけです。悟り、あるいは言い換えれば光明があるだけですから、高次の存在であればそういうお話だけしかなくて、細かい知識を伝えてくるのは割と人間的な神様なわけです。

実際のところ、霊のような存在が、例えば修行僧だとか尼さんだとかが神様として伝えてくる場合は多いように思います。過去生でスワミのような精神修行をしている人も神様っぽく振る舞う時があります。ですけど、それは目に見えないだけで実際は生きている人間と変わりがないわけです。

あるいは、宇宙人であればテレパシーをするようなテクノロジーがありますから、一方的にチャネリングで話しかけてきて、こちらが言っている内容もきちんと向こうが聞くことができます。それは宇宙人の能力でする場合もありますし、テクノロジーで行う場合もあります。

それは割とランダムに選ばれることもあって、言うなれば、旅行先でたまたま目の前にいた人に話しかけるようなものです。ですから、チャネリングがあったからと言って「選ばれた」みたいな選民意識を持つのは馬鹿馬鹿しいことで、たまたまそこにいたからラッキーで話しかけられた場合の方が割と多いわけです。

あるいは、守護霊や近くにいる友人知人の霊が話しかけてくることなんてのはしょっちゅうで、それは割と「近所のお節介おばさん」だとか「色々と世話してくる家族」あるいは「世間話が好きな友人」みたいなものです。そういう人が周りにたくさんいますから、思念波のうちのある程度はそういう人たちがごにょごにょと話しかけてきているわけです。

時折、その延長線で誰かにスピリチュアルなお話を教えてもらえることもありますけど、それは誰かから聞いただけですので、その知識が素晴らしかったとしても、自分のものになったわけではまだないわけなのですよね。

スピリチュアルな階梯においてこのチャネリングによる知識は実に厄介なことがあって、「自分はわかっている」「自分はできている」という錯覚に容易に落ち込んでしまうわけです。

流派によってはチャネリングは良くないものとしていますけど、それはこのような危険性があるからで、実際にはそれは誰かと話すこととそうは変わらないのですからわかってしまいさえすれば特に問題はないのですけど、勘違いや、あるいは、安易にそれの指示に従ってしまう危険性があるわけです。