極度の集中状態(ゾーン)にて歓喜が沸き起こる

2021-08-03 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想というよりも技術職や職人などが何かの作業に上達して極度に集中するとゾーン状態になり、歓喜が沸き起こります。自らの心の中全てがその集中の対象と一体になり、感情としての喜びが奥底から湧き出てきます。

それは最初は何ヶ月かに一度あるいは1年に数回あるいは数年に一回、というように時々にしか起こりませんが、やがて、集中することによりすぐに何度でも毎日でも歓喜が沸き起こるようになります。

その状態では自らの奥底と繋がりますのでトラウマや何やらも含めて無意識の面が表に出てくるのですが、その一方で、作業の効率は上がりますし歓喜が沸き起こって喜びのオーラに満ち溢れます。集中して作業をすることがエネルギーを高める手段になり、奥底からエネルギーが沸き起こってくるのを感じます。ゾーン状態で何かに集中して作業することにより喜びと結果とが同時に現れてくるわけです。

これは味方によっては瞑想ですが明示的な瞑想をしていなくてもこのような歓喜が起こる時があって、とはいいましても瞑想をしていた方がよりはっきりと意図的にゾーン状態に入れるように思います。

瞑想をすることでポジティブになり、集中力が上がり、喜びに満ち溢れ、結果も出せるようになるわけです。

この種のことはマインドフルネスとして結果を追い求める瞑想という位置付けで多様に紹介されていますけど、実際のところ、そのような表面上の現れというのは瞑想における副産物であって悟りの道で現れる現象に過ぎないわけです。とは言いましてもこの現代社会を生きる上において役立つ道具であるのは確かなわけで、この種の現世利益を否定する人も大勢いますけど、私は、そんなこと言っていないで普通に利用したらいいと思っています。

特に最近の人はわざわざ瞑想とかいうと敬遠してしまいますし、普通に仕事をしながら効率よくポジティブにすることができて、いつの間にかそれが悟りの道に繋がっていた、というくらいでもいいと思うわけです。一番最初から悟りとか言っている必要はないと思いますし、気がついていなくても悟りの道を歩んでいることだって多々あるわけです。そしてふと気がついて真実を知ることもあるでしょうし、そんなに目的とかうるさく問わなくてもいいと思っています。そもそも仏教などの初心は割とブッダの出家時の悩みに即したものだったりしますし、ブッダの悩みが全てかと言えばそうでもないわけで、ブッダのストライクゾーンに当てはまらないからと言って否定する必要はないと思います。

話を戻しますと、この種のゾーン状態が瞑想の入り口になるわけです。

瞑想というと座って息を観察するだとかマントラを唱えるだとか皮膚の感覚を観察するだとか仏をイメージするとか色々ありますけど、それよりも、ゾーンに入るのが一番の早道だと思うわけです。特に最初の段階としては。

私の場合、瞑想やヨガを本格的に始める前は仕事においてゾーンに入って歓喜とエネルギーを感じていました。その頃でも子供の頃から色々と勉強はしていましたけど座った瞑想を本格的にはまだしていなくて、それでも、ゾーンくらいには入れていましたね。たぶんゾーンに初めて入ったのは高校生の頃で、大学とか就職してからもゾーンに入って仕事をしていて、最初は時々ゾーンに入るという感じでしたけど上に書きましたように割とすぐに毎日でもゾーンに入れるようになりました。

その後、ゾーンに入った時の歓喜が薄くなってきて、それは効果が薄れてきたというよりは自分の状態が良くなってきたのでゾーンの必要が次第になくなってきて、とは言いましてもゾーンは毎日のように続いていて、ゾーンの時とそれ以外の時の変化が次第に少なくなってきた、ということです。

私の場合、これが基礎にありますね。

その基礎の上に瞑想やヨガを始めたら割と数ヶ月でナーダ音が聞こえてきましたし、進歩も早かった気が致します。