ナーダ音と目覚めた意識

2021-08-21 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ナーダ音とは瞑想中あるいは普段の生活において聞こえる高周波の音ですが、目覚めた意識があるかないかでナーダ音の位置付けは変わってきます。

心の本性(セムニー)が目覚めた意識(リクパ)を持っているときはナーダ音があってもそれを横から見ている状態になります。

一方、まだリクパが現れていない、あるいはとても弱い場合は、ナーダ音に顕在意識の心(思考する心)がしがみつく形になります。この場合、雑念が現れてくると気分が悪くなったり混乱して頭の中で思考がグルグルと回ることになります。

後者の状態の場合、聖典では「ナーダ音に集中する瞑想」と言うのも言われていて、サマーディに達する前段階の瞑想として、ナーダ音に集中することでサマーディに到達できる、と記されています。

(5章79~80) 右の耳のなかで内から発する心地よい音が聞こえるであろう。初めにコオロギの音、次にはフルートの音、それから、雷、太鼓、蜂、ドラ、さらに進むと、トランペット、湯沸かし太鼓、ムリダンガ鼓(南インドの両面太鼓)等の騒音楽器の音及び太鼓の音が聞こえてくる。
(5章81~82) そしてしまいには、かのアナーハタの音の響きが聞こえ、その音のなかに光が存在し、その光の中にマナス(こころ)が存在し、そしてこころはそのなかで消えてしまう。これがヴィシュヌ神の高御座に達した境地である。かくの如く三昧(サマーディ)に達するであろう。
「続・ヨーガ根本経典(佐保田 鶴治著)」より

サマーディにも色々な種類がありますが、この記述のサマーディはまだアートマンには達していなくて、まだ心の本性(セムニー)の目覚めた意識(リクパ)が出てきていない状態です。それでも、雑念と煩悩に悩まされていた時からすれば遥かな進歩ではあるのですが、まだ終わりではなく、この先に心の本性(セムニー)が現れて目覚めた意識(リクパ)が働き出す段階があるわけです。

ナーダ音が消えてなくなる、というのはまだリクパが現れていない時のお話で、それはそれで一つの成長の階梯として存在しているとは思いますけど、リクパが現れた後はナーダ音は割と常に存在していて、でも顕在意識はそれに惑わされない状態になるわけです。

その、リクパが働き出した状態においてはナーダ音と顕在意識としての心(思考する心)のすぐ横に「見つめる意識」とでも言うものが現れて、ナーダ音が聞こえていることそれ自体と、ナーダ音を認識している普通の心(顕在意識、思考する心)そのものを横から眺める意識というものが存在しています。

この、「見つめる意識」あるいは「観察する意識」とでもいうものは聖典が説くところによれば最初から存在していたもので、元々あったということは何か新たに獲得する能力とかではなくて、文字通り全ての人間に最初から備わっているものなのですけど、混乱したこの世界に生きていると曇りが生じてその心の本性(セムニー)が覆い隠されてしまい、目覚めた意識の働き(リクパ)が働くなっているわけです。そこで瞑想をしたり修行をすることで覆いを取り外せば誰でも悟ることができる、と聖典は言います。これはその通りだと思います。

目覚めた意識の働き(リクパ)が現れるときは、普通の心(顕在意識)とは別に、心の本性(セムニー)が現れて、ナーダ音を見つめるようになるわけです。リクパが現れる前はナーダ音に意識すると普通の心(顕在意識)の全てが持っていかれてしまいましたけど、リクパが現れた後であれば、顕在意識は選択的にナーダ音を意識することもできますしそれ以外にも選択的に認識することができるようになります。そのように選択的に顕在意識を働かせるためには、顕在意識を制御して観察する心の本性(セムニー)が必要で、セムニーによるリクパの働きがあってこそ、顕在意識が無意識で揺れ動かずに選択的に意識的に働くことができるわけです。顕在意識そのものは道具のようなもので、その奥にあるセムニーによるリクパの働きによって意識的に顕在意識が動くことができるわけです。