心の声に気付く

2021-09-03
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

自分の明示的な思考(ブッディ)とは別に、私に心の中で話しかけるもう1つの声があります。それに気付くことです。

実際のところ、この心の声というものはほぼ全ての人に聞こえている筈で、ただ、それが話しかけられていることに気付かずに自分の思考と思い込んでいるだけなのです。

ですから、ふと頭の中に思い浮かんだ思考があったとして、それが明示的な思考(ブッディ)でなかったとしたら、それは何がしかの意識体から話しかけられている可能性があります。

大抵の人は「そんなばかな」と思うでしょうし、「それは私の思考です」と思うかもしれませんけど、実際のところ、瞑想を続けていくと自らの明示的な思考というものは意識的に行うようになって、意識的に行わない思考がふと現れたのならばそれは自分の明示的な思考(ブッディ)ではないと気付くことができるわけです。

瞑想をそれほどしていない場合は自らの明示的な思考(ブッディ)と周囲の意識体からの呼びかけの声との区別がつきませんから全部自分の考えだと思い込んでいるだけのことで、実際は誰しもが聞いている声です。

段階で言いますと、日常生活での瞑想が当たり前になってサマーディ(三昧)の状態で常に観察状態で生きられるようになりますと思考の違いと呼びかけの心の声との違いを明確に区別することができるようになります。

これとは別に、自分自身の頭の中でグルグルと回る雑念というものもありますけど、ここで言っている明示的な思考(ブッディ)と呼びかけの心の声はグルグルまわる雑念とは別のものです。

明示的に心の中で呼びかけられる声があって、それはある種のヒントだったり答えそのものだったりします。

普通の人ですと「私は勘がいい」とか「私の能力はさすがに高い」とか思ったりするかもしれませんけど、自分の明示的な思考(ブッディ)で出した答えでないのだとしたらそれは周囲の存在に助けられていることがほとんどなわけです。いわゆる守護霊が出している導きの場合もあればもっとカジュアルなものもあって、性格とか導き手の性格みたいなものが出ます。仲良しの霊体が近くにいて一緒に暮らしていて「お節介おばさん」みたいにいろいろ教えてくる、みたいな軽いものの時もあります。

何か閃いたりすると有頂天になって「私って凄いアイデアマン」とか思ったりする時もあるかもしれませんけど、これらの違いを把握していないのならばそれ本当に自分が考え出したものなのか単に教えてもらったものなのか、わからないわけです。であれば、自尊心を駆り立てて自分が凄いとか思うことは愚かだったりもするわけです。

作曲家とかは顕著で、自分で何も作曲できなくても先代の霊があの世でインスピレーションを送ってくると自分は何もしないでも湧き上がってきます。そして、それを書き留めるだけで曲ができるわけです。ですけど、実際に凄いのは先代なわけで、自分はただ書き留めているだけだったりしますけど現代では作曲家として名前が出たりしますよね。自分で作曲する人ももちろん大勢いますけど、インスピレーションを受けているだけの人、あるいは半々だったり、色々なわけです。このような場合、教えてくれる相手も元は人間ですから、あまりにも「俺って凄い」みたいな態度で自尊心を駆り立ててゆくと教える方も嫌になってしまって「あとは自分で考えろ」と言って肝心のところを教えてくれなかったりします。実際のところ、これはよくあることのような気がいたします。というのも、これは普通の人間の関係と変わらないからです。目に見えないだけで普通の人間同士の付き合いですから、死んだ先代がかわいい孫・ひ孫・ひひひひひ孫みたいな子に教えたとしても、教えられる方が可愛くなかったら「もう好きにしろ」となりますよね。だから先代や家族や師匠など属している系統の先代に対して敬意を示すのは必要なのですけど、そうは言ってもお互い人間ですから、教える方にしても限界があって、教えられる方にも限界があるわけです。

ポイントとしては「心の声に気付くこと」そして「見えない存在も生きている人間と変わらない」というところですね。そうすれば、特に特別感なく普通に心の声を扱うことができます。

これとは別に、自分のハイヤーセルフあるいはアートマンとでも呼ぶべき自己の魂のようなものから湧き出てくる指示があって、それは声というより直接的な理解が瞬時に現れる形で直感のように現れますけど直感というほどの他人行儀の分離した感覚ではなくてそうするのが当然であると瞬時にわかる、というような種類のものですので、ふと「はっ」と気付くような直感ではなく、直接的に「そうである」ことがわかるようなもので、それも直感と言うならそうかもしれませんけど、直感というよりは直接的に「わかる」という種類のものです。それはそれとしてあって、ここでのお話は明示的な「声」として心の中で話しかけてくる声のお話です。