本山博先生の著作に同様の記述があり、興味深いです。
・ヨーガ系 プルシャが最上
・ヒンズー ブラフマンが創造神に相当するがブラフマンはアートマンと本質的に全く同じと考える。一人ひとりの人間の中でブラフマンがアートマンとして顕れて働いているという意味が強い。創造よりも顕現という考え方が強い。
・キリスト教 創造神と人間は、現在を犯す前の魂であったとしても、断絶がある。創造神は「創造する」という意味合いがとても強い。
「本山博著作集8」より抜粋
プルシャの上に創造神があって、ヨーガではプルシャが目的地ですがヒンズーのヴェーダンタなどではプルシャに相当するアートマンの上に創造神に相当するブラフマンがあるわけで、かと言って、創造神というものの捉え方にしても顕現なのか創造なのかで違いがあるわけですね。
本山博先生の世界観では顕現というよりも創造という意味合いにおける創造神が最高に位置付けられているようです。
そして、世界に存在する個別の神々は全てプルシャとして位置付けられていて、その上に絶対唯一である創造神がいるわけです。
これは一見すると一神教のように見えてしまうかもしれませんけど普通の人が考える神というのはプルシャ(神霊)相当ですから日本の八百万の神もプルシャに相当するわけで、それを超えたところに絶対唯一の創造神がいるわけですから、非常に理にかなっていると言えます。
人格神としてはプルシャ(神霊)で、「全体」としての唯一の神を創造神として位置づけるわけです。
これはもはや、一神教なのか多神教なのかという既存の区別を超えて両者の立場をも包括する解釈ですので世界宗教になり得る基盤としての考え方になり得るように思います。