瞑想が進むと別々の世界に生きるようになる


この世界は雑多な人が交わって生きる世界でありますけど、瞑想が進むにつれ、人の良い人しか視界に入らないようになってきます。人との関わり合いにおいても、欲望まみれの人に会う機会がどんどんと少なくなってゆきます。

スピリチュアルの分野においては波動の法則が言われていて、自分と似たような人が集まる、みたいなことが言われていますけどそれは真実で、欲望にまみれた人は視界に入らなかくなってゆきます。

ただ、このスピリチュアルのお話を文字通り理解してしまうと「分離」の意識になってしまうかもしれなくて、勘違いしてしまうと「汚い誰それたちとは違って私は綺麗な世界で生きるのです」みたいなおかしなお話になってしまいますけど、ここで言っているのは分離のお話ではなくて、基本としては周囲の人全てが悟っているように感じられると言う段階があって、その状態においては分離ではなくて、全て統合されていて、全ての人が唯一の「わたし」として感じられる状態なわけです。

その状態においては、何故か、欲望に塗れた人が近寄ってこないわけです。

ですから、実際は近寄ってきているのかもしれませんけど、相手からしても私のことが見えなくなっていますから、あまり影響がないわけです。流石に完全に見えないわけではありませんけど、お互いに気づきにくくなっているわけです。ですから、たまに事故で欲望まみれの人に会うこともありますけど、かなり頻度は少なくなるわけです。

じゃあ、その状態を目指して「私はこれから、欲望まみれの人と付き合わないようにします」とか思っても無駄なことで、これは「結果」ですから「手段」ではないわけです。

結果として欲望まみれの人と付き合わないようにするための手段がそのままストレートに「欲望まみれの人と付き合わなければ良い」と言うことではないわけです。それは最終的な結果であって、手段は違うわけです。

そのための手法は色々とありますけど効果的なものの1つが瞑想で、瞑想が進むにつれてエネルギーが高まり、周囲の人が全て悟っているかのように感じられるようになり、そして、欲望まみれの人は周囲から消えてゆきます。瞑想ですから、瞑想の手法の基本は集中になります。

欲望まみれの人は目的があって誰かに付きまとっているわけですけど、それは、体から発せられているエネルギーを絡め取って奪い取ることが主目的であるわけです。ですから、体のエネルギーの質および形態が変わることによってエネルギーを絡め取ることができなくなったらそれを直感的に感じ取って欲望まみれの人は去ってゆくわけです。欲望まみれの人をスピリチュアル的に言えばエネルギー・ヴァンパイアとなるわけですけど、欲望と言うのはエネルギーの渇望ですから、誰かからエネルギーを奪うことで生きているわけです。

防御法としては自分のエネルギーを高めたり、エネルギーのケーブル(エーテルのケーブル)を切ったりする手法もあるにはありますけど、それよりも、ある程度の瞑想に達してエネルギーを満ちた状態にして、かつ、周囲に広がっているエネルギーのフィールドを自分中心に集中させて周囲に奪われないようにするのが良いと思います。

奪われないようにする、と言うのは、オーラの質が変わることによっても達成できます。オーラの形及びケーブルを切るだけでなく、自分のオーラの波動が微細になれば粗い欲望まみれの人が必要としているオーラとは違ってきますから、ないものは奪えませんので、粗いオーラがなければ欲望まみれのエネルギー・ヴァンパイアは近寄らなくなってきます。

お互いに相手のことが見えなくなりますので、お互いに幸せなわけです。



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