潜在意識で手放しを意図して、顕在意識では意図しない

2021-09-11 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

何かの問題から離れようとするとき、スピリチュアルではよく「手放し」が行われたりしますけど、普通に文字通り読んでしまうと顕在意識で「手放します」と宣言することかなと思ってしまうかもしれませんけど、この種の「手放し」は顕在意識で行うものではなくて、潜在意識で手放しを意図するものなわけです。

同じくスピリチュアルで「思いが実現する」みたいなことも言われていますけど、ここで言う思いとは顕在意識のことではなくて潜在意識で意図することを「思いが実現する」「願いは実現する」みたいに表現しているわけです。ですけど、普通に文字通り読むだけですと顕在意識で願い事をすれば実現するように思えてしまうかもしれませんけど、顕在意識でいくら願ったところでも大して現実は変わらないわけです。

一方、潜在意識で意図すれば割とスムーズに物事は変わっていきます。

それは、良いこと悪いこと全てそうなります。実際のところ物事に善悪なんてありませんから意図すればその通りになります。

かと言ってなんでも好きになるかというと、潜在意識で意図した時にどのくらいスムーズに意図できるか次第でどのくらい現実化するかが決まります。意図した時に何やら抵抗があるようであればなかなか難しいでしょうし、意図がすんなり受け入れられたと思ったならば割とその通りになります。

その、潜在意識で意図する時、意図が「(何かを)手放します」であればそれはスピリチュアル的な「手放し」になるわけです。

同じ意図を使って「何かを成し遂げます」とか「何かを手に入れます」と意図することもできるわけです。意図は意図でしかなくて、その意図により手放しをしようが何を願おうが自由なわけです。

一方、顕在意識では何も考えないようにします。潜在意識は実際のところ潜在意識にさほど影響を与えませんけど、顕在意識が常に混乱しているような状態ですとなかなか潜在意識で意図するなんてできませんし、であれば、顕在意識を鎮めて潜在意識をうまく使っていくためには瞑想が有効になるわけです。

では、潜在意識が使えるようになると何でも思い通りかというと、実際のところそのくらいになりますと自分と他人の区別がなくなってゆきますので自分のためというよりは社会のため、コミュニティのために潜在意識を働かせることが多くなってゆきます。とは言いましても個人的な願望も多々あって、個人的なお話で現実を動かすこともあるわけですけど、そのくらいになりますと割と調和の視点から個人的な願望を捉えるようになります。

過渡期には色々と個人的な願望を叶えたりもしますけどその時点ではまだ現実を変える力は弱くて、潜在意識の力も限られているわけです。このくらいの時期が一番「手放し」とか「引き寄せの法則」が意図して働きやすくて、それ以上になると現実が意図通りに動くのが当たり前すぎてわざわざ手放しとか引き寄せとか言うのが微妙な気も致します。そもそも手放しが必要なのは何か苦しいからで、苦しくなければわざわざ手放しとか不要ですし、引き寄せの法則が必要なのは願望があるからで、願望がなければ引き寄せの法則なんて不要なわけです。かと言って必要があれば意図して手放しとか引き寄せはできますのでたまには意図して使いますけどそれなりにスピリチュアルに成長してしまえばそれらを意図する原因がかなり減っていますから、まだスピリチュアルにさほど成長していなくて手放しとか引き寄せとかを求めている段階と比べると手放しとか引き寄せとかの重みは減っているわけです。手放しとか引き寄せとか言っているのは顕在意識が苦しいからで、顕在意識の働きかけが減ってゆくのならばこれらの同じ法則は無意識・潜在意識の領域でだけ働くようになって、それは当たり前の働きとして無意識が感じて無意識が働きかけを行うようになります。無意識とは言っていても瞑想すればその無意識を把握して無意識に対して働きかけをすることができるようになりますからもはや無意識というのは不適切かもしれませんけど、言葉を変えるならば集合無意識とでも呼べるものに対して働きかけをするわけで、潜在意識と言ってもいいわけです。一方、手放しとかわざわざ言っているのは割とスピリチュアルでそれほど成長していない人向けのように思います。スピリチュアルにさほど成長していない段階で「手放し」を求めていて、いざ本当に手放しができる段階に達してみるとその「手放し」は顕在意識ではさほど必要ではなくなるけれども潜在意識的にとっては当たり前になる、という感じです。