スピリチュアルをやっていると、人生を良くしたいだとか悩みを解消したいだとか、そういう願望実現のお話をよく耳にします。ですけど、実際のところ、願望実現を願ったところであまり意味がないのですよね。
人生は全て完璧で、良いと思うことも悪いと思うことも全て含めて完璧なのですから、あれこれ思い悩むことをやめて目の前の物事に対処しさえすれば良いわけです。それはロボットになれといっているわけではなくて、悩みから問題へと昇華して解決あるいは問題を問題ではなくしてしまえばよいわけです。
これは一見するとプロジェクトの進め方として問題解決方法としてのビジネス手法として見えてしまうかもしれませんけど、意外にもスピリチュアルとプロジェクトとは似ていて、問題があるのであれば悩む必要はなくて問題をはっきりと見て、問題を解決してなくしてしまうか、他のことを解決することで問題を問題ではなくしてしまうか、あるいは、問題を軽減するか、あるいは、問題を受け入れる、みたいな選択肢があるわけです。制約条件があって問題をどのように解決するのか道は色々あって、問題は解決できないので受け入れるしかない、ということもありますけど、どの選択をしたとしてもありのままで完璧なわけです。
スピリチュアルで悩んている人は一定のパターンで動いていて、悩みや問題があったらそれを解決したいとは思っていても、大抵の場合はその問題がなくなってほしい、としか思っていないように思います。プロジェクトを対処するときのように、まず、問題そのものをはっきりと見て、そうすれば問題をどのように解決したらいいのかは自ずと出てくるわけです。物事をはっきりと見極めさえすれば答えが自然に自分の中から出てくるのがスピリチュアルなやり方ですけど、それを自らの中から出さずにロジックだけで解決しようとするのがプロジェクトの扱い方で、ですけど、答えだけ見てみると同じになっているわけです。スピリチュアルではプロジェクトを直観的に扱うのに対し、仕事のプロジェクト手法ではロジックで解決する、という違いがありますけど、どのように解決すべきかという指針においてはプロジェクト手法は参考になります。
仕事のプロジェクトで、問題がなくなれ! と願っても何も起きませんし、問題を解決したい、と思っても何も解決しないわけです。
スピリチュアルな人は、問題を解決しようと思えばそう願えばいいのです、みたいなことを言う人がいますけど、確かにそれなりにスピリチュアルが成長すれば次第にそれは真実になりますけど普通の人が願ったところで何も変わらないわけです。スピリチュアルの中には、普通の人が願えば願望実現して人生うまくいきます、とか言っている人もいますけど、実際はほとんどの場合、何も変わらないわけです。そのようにスピリチュアルで成長した人の場合でも、願って現実を変えなくてはならないことは割と少なくて、大抵の場合は、それなりのことが起こっても「ふうん」くらいにしか思わないものです。普通の人が大問題と思われることでもなんとなくこなしてしまう、というのがスピリチュアルな人の基本姿勢であって、そうして問題を解決・軽減・回避・様子見・受け入れ、みたいな選択肢がある中で、どうしても自分ではどうしようもない時にだけ願うのであって、欲望のためにスピリチュアルに懇願する人が何を願っても何も起きないのは当然であると言えます。
ですから、基本的には自分の人生を普通に生きればよくて、人生が良くなれ、と思う必要はないわけです。人生が良くなる時は特別に願わなくても自然に「あ、人生よくなるかも」と思って勝手に良くなります。自分の普通の生活の満足が最初にきて、その普通の満足の上にもうちょっと「良いこと」が積み重なるのが基本であって、現実の現在の人生を楽しめていない人が一発逆転を狙ったとしても、スピリチュアルではそういう一発逆転を煽る場合もそれなりにありますけど、そのような逆転劇は基本的に起こらなくて、起こったとしてもスピリチュアルとはあまり関係ないことの方が多いわけです。
本当にスピリチュアルに成長していればそのような逆転劇のような人生の転換は普段から当たり前のように起きますけど、それはわざわざ願ったりせずに、それが当たり前と思って「あ、いいこと起こるかも」とひらめいて、実際にそのように勝手に自動的に良いことが起きるだけのことです。自分の顕在意識でわざわざ願ったりすることなしに、物事が好転してゆくわけです。そうなると、わざわざ人生良くなれ、と思うことも少なくなっていって、人生が良くなっていくのは当然でしょ、と思ったり、たぶんこれは人生が良くなって行っているということだとは思うけれども、最初から全て良い人生だったから、良くなるとかそういうの、よくわからない、という心持ちになるわけです。実際はいろいろな問題が起こっていてもそれが苦と感じなければ全て完璧で素晴らしい人生として認識されるわけです。実際、良い人生だったり、問題が多少あったりしても、本人はそれを気にしないわけです。幸せな人生とそんなものです。