お金が儲かるというスピリチュアルは大抵使い物にならない

2021-09-25 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

世の中に現世利益、特にお金儲けのスピリチュアルが溢れていますけど、基本的にそう言うのは使い物になりません。

と言いますのも、本来、スピリチュアルにはお金儲けはなくて、あるとすれば「お金をあまり使わない」と言う行動の「結果」としてお金が溜まったり、その余剰資金を運用してみたらお金が増えてしまった、という予想外の結果でお金が儲かることはあるにはありますけど、スピリチュアルそのものがお金儲けを目的としているわけではなく、その前段階として欲望の克服とかをした結果、使うお金が減って、そのことによりお金が手元に残るようになって、残ったお金を運用したらお金が増えてしまった、という、割とお金儲けの王道的なお話になってくるわけです。

一方、世の中に溢れているスピリチュアルではお金儲けを第一の目的としていますけど、じゃあ、何故お金が必要なのですか? と言うところを個々のに落とし込んでいった結果、それが「欲望」から来るお金儲けであれば、それが例え一時的に叶ったとしてもそのお金は「使う」ためのお金ですから、一時的に入ってきたお金は目的の欲望のためにすぐに消えて無くなってしまうわけです。ある意味、願い通りの現実になっているといえます。

一方、王道のお金儲けは意外とスピリチュアル的なお話に基づいていて、節約して質素に生活しましょう、などというお金持ちの教訓は欲望を抑えて静かに生きましょうと言うことですし、それはまさに精神的な生活であるわけです。

スピリチュアルに生きていて、欲望もある程度抑えることができて、結果として出費が抑えられて、それでいて普通に社会生活を送っていて定期収入があるのであればそこまでお金が困らない世の中であるわけです。これは異論があるかもしれませんし、人によっては質素に暮らしているのに足りないだとか、そういうこともあるかと思います。そういう場合ももちろんあって、個々の場合の原因はそれぞれ見ていかなければ貧困の本当の理由は分かりませんけど、スピリチュアルの基本としては欲望を抑えることで出費を抑えて質素に日々幸せに生きることであるわけです。

じゃあ、その質素で幸せな生活を送るために足りないものを求めたり障害になっているものを取り除けば良いわけで、欲望が邪魔になっているのであれば欲望を解消してゆく必要があるわけです。ですけど、繰り返しになりますけど世の中の多くの現世利益のスピリチュアルは欲望を叶えるために例えばお金儲けができるとか言って世間を騒がせているわけです。

結局、スピリチュアルでお金儲けはできなくて、お金を稼ぐのは日々の普通のお仕事で稼ぐわけです。そして、必要以上に余ったお金を運用してたまたま多く増えたりあるいは投資に失敗して無くなってしまったり、それはそれぞれですけど、そこはあくまでも余剰資金のお話であって、人が生きる根本のところはスピリチュアルで稼ぐのではなく日々の仕事で稼ぐのが基本であるわけです。

確かに、本当にスピリチュアルに上達してそれなりに達すればお金儲けとかそう言うのも自由になりますけど、普通の人にはあまり関係のないお話だと思います。

例えば「無意識」の領域にプログラムを書き込んでお金儲け、とか言っている人もいますけど、それってお金儲けのプログラムじゃなくて「お金を使います」と言うプログラムなことがほとんどですからね。本筋じゃないですよね。それで本当にお金が儲かったとしてもそれを使うためのプログラムなら結局は欲望を叶えるためのプログラムということですから、お金が儲かって大きくお金を使った後にまた大きな欲望が出てきて更にお金を大きく稼ぐために無意識にプログラムする、なんてことを繰り返して、それって何か面白いのですかね? 単なる欲望を叶えることが目的なら、そんな小さなお話はどこかで好きにやってください、と思ってしまいます。別に、他の人がやっていることを止めもしませんし好きにすればいいのですけど、私には興味のないお話です。

それよりも、まず欲望を克服して、無意識を書き換えるとかではなくて無意識が意識下に入って集合意識に入って集団のために尽くすとか地域あるいは国とか大きなものに尽くすことになったらそんなお金儲けとか小さなお話は出てこなくなる筈なのです。本当のスピリチュアルは欲望よりも一歩上の世界へと超越して欲望から無縁になることであって、欲望と同じレベルでいると欲望を抑えるという欲望と戦う姿勢になってしまいますけど超越すれば欲望とは関係のない心境になりますから、そのように欲望を超越して欲望とは無縁の世界に入っていくことこそがスピリチュアルの基本姿勢であるわけです。