「引き寄せの法則」を卒業しないと神へは辿り着けない

2021-10-24 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

引き寄せの法則が発生するのはカーラナ次元(コーザル、原因)で、プルシャとかアートマンあるいはいわゆる神の次元はその先ですから、引き寄せの法則を使うのをやめなければ神の次元には辿りつかないわけです。

そのことを、最近よく理解できるようになりました。

ヨーガなどで言われている3つの体、肉体・アストラル体・原因体(カーラナ、コーザル)のうち、肉体は物理的体ですけどアストラル体は感情面のことで、まず感情的な揺らぎを鎮めるところから始めるわけです。その次に、原因体は言葉通り、この世のカルマの原因でもあり、人が個人の人として存在するに至った根源の理由でもあり、自我を持った個、ヨーガ等でいういわゆるジーヴァ(個)の本性でもあるわけですけど、その原因体は物事の根本である論理、あるいはロゴスとも言える知の根源が存在するのと同じ階層にて存在しているわけですけれども、その原因体の本質というのはカルマでもあって、カルマであるが故に物事の根本原理である理屈・法則がその階層に存在しているわけです。

そして、そのカーラナ次元においては、カルマの発現というのは、例えば「願う」とか「引き寄せる」ことによって発生します。

ですから、「引き寄せの法則」で願い通りの現実を引き寄せているように見えるかもしれませんけど、実際は、カルマを発現させているわけです。

そうして、更なるカルマの車輪のサイクルに組み込まれ、一つの願望が叶えられたらまた次の欲望へと繋がり、また違うカルマを願い、叶い、ということを延々と繰り返すことになるわけです。こうして輪廻転生のカルマの車輪の中に組み込まれてしまうわけですけど、その車輪の一翼をになっているのが「引き寄せの法則」なわけです。

それはカルマの発現でしかありませんから、単に法則的なものでしかなくて、叶ったからと言って、実際には神の次元からしたら大差ないお話なわけです。ゲームの中でイベントを一つクリアしたか失敗したか、あるいは、やらなかったか、という、そのくらいの違いしかないわけです。

神へ到達しようと思うなら、「引き寄せの法則」から離れなければ辿りつかない、というのが私の最近の理解です。

考えてみればそれはその通りで、実際のところ、私は割と「引き寄せの法則」は興味がない方でしたので幸いにしてそれを意識的に使うことはほとんどなかったわけですけれども、意図はしていなくても、昔にちょっとしたことで願ってしまっていたことが最近になってぽつぽつと実現していたりして、そのことを思い返すと、「ああ、あの時にもっと深く考えてから願っておけばよかった」と後悔・・・ とまではいきませんけど、もっとうまくやれたのではないかな、と思うことは時々あるわけです。

実際のところ、その先のプルシャあるいはアートマンあるいはいわゆる神の次元へと辿り着いた場合は引き寄せの法則をいくら使おうがカルマには影響されなくなっておりますので自由自在になるわけですけれども、そこに辿り着くまでは、まずは引き寄せの法則などのカルマを発動させないようにして生活する必要があると思っております。



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