意識の認知がこの世の実態を作り出している

2021-10-29 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

物質のことではなく、ここで言っているのは心の認知のお話ですけど、心、あるいは意識の認知によってこの世界が「存在している」という実感を作り出しているわけです。

(心が認知するから物質としての物体が存在しているとかそういうことを言っているわけではなくて)心が認知するから何かの対象が存在しているという「実感」が生み出されている、ということです。

これは心理学や哲学でも言われていることで、まあ、それはそうなんだと思っている方も多いとは思います。

瞑想の世界においてもこのようなことが言われていて、具体的には、サマーディの状態に至ることでこれらのことがよく理解できるようになるわけです。

サマーディの状態においては覚醒を保ちながら物事をありのままに見るわけですが、覚醒した状態というのは、上記のような「存在している」という実感を新たに作り出さない、あるいは作り出しても割とすぐに消えていってしまう状態なわけです。

この、「存在している」という実感は「幻想」あるいは「夢(のようなもの)」と説明されることもあり、それはヴェーダンタでいう「マーヤー」の一部でもあります。

既にこのような「実感」が既に自分の中にあるのならばそれをサマーディの覚醒した境地でありのままに見つめることでそれが実際は幻影であることに気づき、やがてその幻影が消えていって、実際の「ありのまま」の姿を見出すことができます。言い方を変えればそれは無常ということでもありますけど、実態や実感が壊れるまで待つことなく、単にサマーディで観察しさえすればその幻影は消えてゆくわけです。

サマーディに至れば、幻影がどのように作られてゆくのか理解することができます。

例えば視覚であれば、視覚で見た映像とそれと結び付けられている実態・実感・幻影とはセットになっています。サマーディでない状態においては視覚が新たな幻影を作り出し、それは「存在している」という「実感」になり、次々に新たな幻影が作られます。そのような状態においてはコマーシャルあるいはテレビ番組に影響されやすくなり、この世の快楽という願望を外から与えられて操られ、稼いではその分次々に消費する日々を送ることになります。

サマーディの状態においてはそのような幻想がいかに作られてゆくのか理解するだけでなく、物事の本質をも理解することができますので、幻影が新たに作られることが激減し、既にある幻影も力を失ってゆくわけです。それにより他者によって操られることが急激に減り、他人から与えられたものではない、自分自身の生活を送ることができるようになるわけです。