集中して歓喜を作り出すのが瞑想あるいは仕事においての基本

2021-10-30 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

基本、とは言いましても、それだけで良いわけでもなく、やがて、歓喜のようなエネルギーに溢れた状態が普通になりますのでわざわざ歓喜などと言わなくなります。歓喜というのはそれが一時的な状態だから歓喜なのであって、常に歓喜であればそれはエネルギーに満ち溢れた状態、あるいは常に充実した状態、などと表現されるわけです。

歓喜がない場合、まずは集中から始めるわけですけど、それに一番適しているのは仕事で、仕事に集中して歓喜するのが時間の有効活用の点からも実用面から言っても一番やりやすいように思います。

昔のように一日中こもって瞑想ばかりしていられる環境でもあれば良いですけど最近はそういうことも難しいですし、であれば、さほど騒がしくない環境で、特に、何かに集中できる技術とか工芸ですとか、そのような細かな作業に集中できる時間があると良いと思います。スポーツでも良いと思いますが体の疲れには限界がありますので、意識が長く集中できる仕事の方がやりやすいように思います。

最初は、集中が極まった時に仕事の対象の事柄が透けて見えて、最初は一瞬ではありますけど仕事の全体像が見えて、それで仕事がうまく行きやすくなりますし、そのような瞬間は歓喜の状態であるわけです。

それはいわゆる、一種のサマーディ状態になっているわけで、それは言い換えばアストラル次元における感情的な一致の状態になっているわけです。サマーディにも色々と種類がありますけど最初はアストラル次元で感情面で対象と一致するわけです。それにより、対象のことがよくわかるようになります。例えば技術面だったり相手のことだったり、歓喜と共にそういった情報が流れ込んできます。

このようにして起こる歓喜は長く続かなくて、数分ですぐに消えたり、あるいは数十分、ということもあります。それは集中の上達にも関連していて、最初は短くても、次第に長く続くようになります。

そうして集中が上達してくると、やがて、一時的な歓喜は治っていって、その奥にある、深い意識の平安へと少しづつですけど導かれてゆきます。

瞑想するにしても、このような基礎があるとな意図では大違いで、集中して歓喜、それはいわゆるゾーンということでもありますけど、ゾーンの歓喜に入れる人が瞑想すると上達が早いように思います。

その歓喜は終わりではなくてその先にはカーラナ次元(コーザル、原因の次元)のサマーディによる平穏な静寂の境地というものがあるのですけど、すぐにそこにまで行かなくても、まず最初は集中瞑想をして歓喜が沸き起こるだけでも割と人生を送る上では十分であったりするわけです。

特に、普段の生活でストレスに満ちていていつも頭の中の雑念が消えずに混乱したり怒りが沸き起こったり疲れたりしている人にとっては、この種の集中による歓喜というものがまずは第一に助けになります。