ソクラテスのイデアとサマーディ

2021-10-31 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ソクラテスのイデアとサマーディにはいくつもの共通点があるように思えます。しかしながら、弟子であるプラトンあるいは後世の哲学者の見解には多様なものがあり、それらの中にはサマーディに該当しないものも多数あります。

元々のイデアがどのような主張であったのか知る由もありませんが、サマーディとの共通点ということで言えばいくつかあげることができます。

イデアとは、例えば美しさ多様な美しさがあるがイデアとしての原型は1つしかない、というように、物事にはその原型である世界がこの見えている世界とは別に存在している、というお話です。

これは、話をそのまま聞いてしまうと天のどこか、あるいはこの世ではないどこか別の場所にイデアという世界があってそこから映像のようにこの世界が投影されているだけだ、というお話にもなってきますし、そのように説明されている文献もあるようですけど、この種の説明はサマーディと同じで、この世界は投影されたものであるというのはサマーディの境地との説明とも同じですし、であれば、ソクラテスとはサマーディのことを言っていたと仮定することができると思います。

ソクラテスが言っていたのがサマーディであれば話は割と簡単で、認知する時に心がこの世界の幻影を作り出して普段はその幻影しか見ていないということが基本にあって、認知が幻影を作り出さずに直接的に物事を認識することをサマーディあるいはイデアの直視、みたいに言ったりすればいいわけです。

その場合、原型としてのイデアがどこか別の世界に存在しているわけではなくてイデアという原型を認知の幻影の妨げなしに直接的に認知しているわけです。ただ、そのことが理解でいない人に対して説明するときに別の世界だとかイデアの世界だとかいうお話を持ち出したので実際のサマーディあるいはイデアを知らない人が想像してあたかも別の世界があるかのように解釈しただけで、実際は、イデアというのはこの世界の本質そのものであって、この世界に、いわばまるで重なるように存在しているわけです。

ただ、幻影を取り除けばイデアの世界が眼前に現れて、そのことをイデアの直視だとかサマーディだとか言ったりするわけです。

サマーディというとアストラル次元の感情のサマーディとコーザル次元(カーラナ次元)の認知上のサマーディとがありますけど、イデアの直視というのは認知上のお話ですのでカーラナ以上のサマーディであるように思われます。