一つの方法として、感情面を使って未来を選択することができます。
この場合、修行とか能力とかいうものはさほど必要なくて、必要なのは、将来に成功したとしても失敗したとしてもそれを明らかに表現して特定の感情を実際に出す、という行動こそが必要になります。
これはどういうことかと言いますと、そもそもスピリチュアル的には時間というものはあまり厳密ではなくて、現在が未来に向かって影響する他に、スピリチュアル的には未来から過去に向かっても影響します。それはどうやってわかるかと言いますと、まず、感情面において未来から「良い予感」あるいは「悪い予感」としてやってきます。
スピリチュアルにおける人の体の3つの構造、それぞれにおいて未来選択の方法は異なってきます。
・肉体 これは時間を超えることはできません
・アストラル体 これは感情面と結びついていて、過去及び未来の感情を現在において感知するのと同時に、現在発した感情は(劣化しつつ)時間を超えて過去と未来に伝わります。
・コーザル体 これは理性面と結びついていて、過去及び未来の理性的な思考及び選択を現在において完治するのと同時に、現在発した思考及び選択は(劣化しつつ)時間を超えて時間を超えて過去と未来に伝わります。
・アートマン(あるいはプルシャ)これは私はまだ未体験ですけど、全ての時間が同時に存在している境地だと聖典などでは説明されています。
このうち、未来を選択するだけでしたらアストラル次元だけで割と十分で、スピリチュアルとは言いましても割と成功哲学あるいは啓蒙セミナーで言われているようなことにも通じてきてしまいます。スピリチュアル的にはこのような感情面はさほど重要視してはいないのですけど、危険察知あるいは成功を選ぶ一つの手段としてこのような感情面は利用できます。
この場合、自分が多少は感情的な性格であった方がやりやすく、何が起きても感情的にさほど動かない場合は感情が他の時間軸に伝わりませんのでシグナルになりにくいという欠点があります。
ですから、何かあれば精一杯喜んだり、あるいは悲しんだり、怒ったり、という感情的な現実に悩まされているスピリチュアル段階の人とこの種の未来選択は相性が良いわけです。
まだスピリチュアル的に浄化が進んでいなくて感度が低い場合は特に、大袈裟に感情を出すことで他の時間からその結果を感知しやすくなります。特に意識していなくてもそうなることがほとんどの人もいるかもしれません。
一方、浄化が進んだ場合は感情の起伏がコントロールされますから、次第にこの種の未来選択をするにはそれ相応に感度を高める必要も出てくるわけです。
ですけど、実際のところ、スピリチュアル的には何があっても全て完璧ではあるのですから、特にこのような法則を使わずとも全て受け入れる姿勢があれば、それほど意識してこのような法則を使うこともないように思います。
それに、ある程度のスピリチュアルになれば「心地の良い選択」というのが自然になってきますから、そうなれば障害のない、あるいは少ない選択を次々に行うようになりますので、このような法則をわざわざ意識しなくても手足のように当然のように使うようになります。
それに、必ずしも心地よい方が正解でもありませんし、そのような総合的な判断が次のステップになるわけですけど、その場合、アストラル体の感情面だけでなく、コーザル体の理性面とも結びついて選択がなされるわけです。