清浄な平穏の筈なのにどこか清浄になり切れない境地

2021-11-03 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

基本的には静寂で平穏の筈なのにどこか清浄になり切れない境地の瞑想がここ最近は続いています。

これは湿気のようなもので、梅雨から晴れて晴れ晴れとした天気になった筈なのにどこかまだ梅雨の余韻と言いますか、何かまだ完全に晴れになり切れていない部分を感じているわけです。

これは油井真砂先生の著作に似たようなことが書いてあり、空になり切ったという煩悩それ自体が薄雲のようにかかってくる、と表現されていてまさに今の状況のような気が致します。同書によりますと以下のようにあります。

清濁一如の妙機が得られて居ないから、それで、つい空に著するといふことになる。(中略)空によつて生ずる「空病」としての煩惱である。「信心と坐禪(油井真砂 著)」

この後、「空」に対する最後の煩悩が空じられて、色即是空および煩悩即菩薩の境地に至れば大悟徹底される、と同書は説きます。

理屈ではその通りだなと思うのですけど、私の場合、まだどこかに薄雲のように最後の煩悩が残っているのを感じます。そのことを自覚できただけでも進歩とはいえますけど、ここが微妙で、手が届きそうで届かない、何か不思議なところであります。

こうした微妙な機微といふものは、自から言詮の彼方に於て自證(じしょう)・自得される筈のもの「信心と坐禪(油井真砂 著)」

ということで、確かに、誰かに聞いてもわかるものでもありませんし、書籍にもほとんど書いていなくて、自分だけが頼りな状況です。自分だけが頼りとは言ってもそれは人としてのお話で、信仰面でいえば神様に頼るといういわば他力本願の状況であるわけです。

少し今までは、梅雨の間に時折青空が見えて晴れ晴れとした空を見ていてまた梅雨に戻っていた、という感じでした。最近は梅雨が本格的に明けて、しかし、梅雨が開けたばかりの薄雲がかかっている状態なわけです。

ここから更に突破するには、他力本願で自他同一の境地になる必要があるのかなと思います。



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