精神修行は一つの流派に絞った方がいいのかどうか

2021-11-07 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

最初は直感、あるいは近所にある通いやすいところを選んだらいいと思います。
ヨーガなどは定期的に通うことが必要ですから通いやすくないと続かないわけです。

その上で、他に興味があったら受けてもいいとは思います。

基本は、どの流派であっても同じ(の筈)です。

ですけど、表現方法はそれぞれ違いがあって、この種の微妙なお話は文脈が重要で、同じ言葉を使ってはいても人によって意味合いが異なったりするわけです。ですから、理解という面においては同じ流派に通う方がいいと思います。

自分にそれなりの理解ができてきた後であれば違った表現を聞いても同じことだとわかりますが、そうでないと、同じ意味を言っているのにも関わらず表現方法が違うからと言ってあそことここは違う、みたいな誤解が生じてしまう可能性があります。であれば、それほど理解ができていない段階においては同じ流派に通った方が良いわけです。

かと言って一生、その流派に居続けるべきかというと、それは人それぞれなわけです。

人によっては一生かかってもその流派を学びきれないでしょうし、人によってはポイントだけ掴んで他の流派に行って、ということを繰り返すこともあるでしょう。

ただ、多くの場合は1つの流派で割と十分で、と言いますは、この種のお話は結局のところ自分で行うことですので、自分が修行できる環境があれば十分と言えばそうなわけで、流派にこだわる必要はさほどないわけです。

自分に理解ができていない段階でいろいろなところを彷徨うと時間ばかり使ってしまいますので、とりあえず通いやすいところで何かしてみるのが良いと思います。

もちろん、選ぶ際は、しっかりした指導者がいて、変な指導者ではない、などという一般常識に照らし合わせることは必要です。



((同分類の)前記事)昇天した時のお話
(時系列の前記事)夏目漱石記念館@早稲田