スピリチュアル的な解釈をすれば、自分がLGBT(かもしれない)と思うからLGBTになるのです。ですから、LGBTのことなんて考えなければ普通に生物学的性別に落ち着きます。
世間でLGBTとか色々宣伝しているから「あれ? 私ってそうかも」とかいう「勘違い」が生まれて、考えれば考えるほど「きっとそうだ」という概念を自分で作り上げてしまってその性別の自分を作り上げてしまうわけです。これはある種、社会を混乱させる一因なわけです。
LGBTのことを宣伝されてLGBTが一般的になって喜ぶ人より、男女の自覚を周囲からしてもらえなくなって男女をきちんと自覚できなくなることで弊害を被る人の方が遥かに多い筈です。
LGBTのマイノリティーを守るために、本来はきちんと男女を自覚できていた大勢のマジョリティを混乱の渦に叩き落とすのであればLGBTなんて推進しない方が社会のためになると思われます。
そのお話とは別に、魂と性別とLGBTに書いたことが基本ではありますので、それはそれとしてありますから、久々に性別を変えた魂とかは最初は違和感があって当然で、そうは言いましても生活していくうちに自分の性別が「馴染んで」くるわけです。そんなものです。
人は生まれながらにしてその性別になるのではなく、意図的に意識して自分の性別を生きるわけです。
生まれたばかりの、まだ幼い頃は自分のことが男か女なんてそんなに意識しないことが多いと思います。ですけど、男っぽい女の子が小学校高学年の頃に「○○ちゃんは、女の子なんだよ」と先生等から言われて「おお! 俺って女だったんだ!」と「自覚」をして、自覚をした後に急にしおらしくなって女の子っぽくなる、というのはよくあるお話です。
男にしても、「男なら」とか言われて「おお! 私って男だった!!!」と「自覚」をして男っぽくなる、というのもよくあるお話です。
それが割と普通のことで、自覚する前は自分の性をそれほど意識していない、まだ未分化の「子供」なわけです。声変わりもしていない状況で男女のホルモンも出ていない状況から、ホルモンが出て男女を意識し始めるときに同様の「自覚」が周囲の大人から投げかけられ、性別を自覚していくわけです。
ですけど、昨今はそのような「自覚」が良くないものだとされて、LGBTでも良いとかいう宣伝がなされていますけど、性別とその性質というのは社会が作り上げるものでもありますから、LGBTの宣伝というのは文化破壊に繋がっている面もあります。男女への自覚を妨げられて男女の性に目覚めることができない人が増えたら、混乱した人々だらけの意味不明な国になりますよ。そんな社会を目指したいのですかね?
以前に書きましたように、生まれた経緯から男女の自覚がしにくい、という人はいます。ずっと女で生きてきて久々あるいはたまに男で生きたら最初は女っぽいでしょう。ですけど、そんなものですよ。逆もまた然りです。ですけど、その性別で生きていたら次第に生物学的な性別っぽい性質に変わってゆくものです。それは個人でそのようになるだけではなくて、男が女から男として扱われることで変わったり、あるいは、女が男から女として扱われることで変わる、ということもあります。それが、LGBTだからどっちでもいいとか言ってごちゃ混ぜにしていたらホルモンとマインドが相反し合って混乱をきたします。
本人がそれでもいいというのならばこの世界は個人の自由がありますので好きにしてください、ということになりますけど、スピリチュアルを目指す人であれば、「体」と「心(マインド)」が「一致」することがとても重要なわけです。体とマインド(そしてもっと微細なところ)が一致していなければ高いレベルに達することができません。
これには例外があって、元々性別がない世界から転生してきたとか、性別がないレベルにまで達している場合はそうでもなかったりしますけど、大半の場合は性別のある段階にいますので、男女どちらかよく分からない性質であれば、大概は、そんな大したレベルではないわけです。
アストラルの感情の段階はいわゆる幽体で性別がありますけど、カーラナ(コーザル、原因)になりますと性別はないわけです。ですけど、スピリチュアルの人は割と自分を上の段階で考えるきらいがあって、そういう人は既に自分がカーラナのレベルで性別を超越していると考えがちだったりしますけど、そんな風に思うのは割と初心者で、ちょっと成長すればまだまだ自分がそんなレベルではないと気付くわけですね。ですから、大半の場合はスピリチュアルな人であってもアストラル的な感情および性別があって、であれば、基本的には、人には性別があるわけで、性別がないような中性の人というのはほとんどの場合はまだ未分化の未熟な状態なわけです。男にも女にもなり切れていない、まだ成長の段階を踏んでいないわけです。
LGBTっぽい性格だから自分はスピリチュアル的に成長していると思っている人が一定数いますけど、大抵の場合はそんなことはないわけです。気のせいなわけですね。
LGBTだと思うのも気のせいですし、スピリチュアル的に成長していると思うのも、どちらも気のせいなわけです。
LGBTなんて考えるのをやめて、普通に生物学的な性別で世の中を分けるのが一番健全だと思います。今のLGBT論でトイレのマークを変えるとかお風呂の入る方を変えるとか、そういうお話は止めた方がいいと思います。
ただ、昨今のLGBTが良い結果だと思えることが一つあって、そのように「まだ男女に未分化」の人たちのことを「差別しない」という点に関しては良いことを言っていると思います。ですけど、対処方法として「受け入れる」というのは上記の通り私はそうすべきとは思っていなくて、そうではなくて、「男女を自覚できるように周囲が導いてあげる」のが良いと思っています。
スピリチュアル的に解釈するなら、LGBTというのはただの子供の状態なわけです。