オーラは、目で見ているような気もするけれども見ていないような気もする、という感覚で見ます。肉眼で見ようとすると自然にオーラも目に入りますけど、肉眼では見えていないような気もするけれども見えているような気もする、という感じでオーラが見えます。
オーラが「目で」見えているか? と聞かれると、目で見ているような気もするけれども目ではない何かで見ているような気もする、という感じで、はっきりとしたことは分かりません。
肉眼では見ていないような気もしていて、直感で見ているような気もしますけど、それも含めて肉眼のような気もしないでもありません。もしかしたら直感で見ていて肉眼で見ていないのかもしれませんけど、実はきっちりと肉眼で見えているのかもしれません。
古典的なオーラ視の方法として、少し暗くして他人の輪郭を見る、という方法があります。
それはオーラの中でも肉体に近いところのエーテルあるいはプラーナとか呼ばれている部分を見るもので、肉体の輪郭に沿ってうっすらと膜のようなものが見えます。
実際のところ、これはちょっと慣れれば誰にでも見えるもので、それがあるのが普通すぎてオーラと言われるまでそれがオーラだと気づいていない場合も多々あるように思います。オーラが元から見えていたとしても「そんなもの」としてスルーしている場合も多いように思います。
そんな、見える人にとっては当たり前のオーラですけど、実際、その存在に気づいていない人も多いわけです。
肉体とは別にエネルギー的な厚み及び強さがオーラの性質を決定していて、肉体が同じように見えていても、オーラがきちんと整っている人と、肉体優位でオーラがほとんど肉体の外側に出ていない人がいます。
オーラが弱い人は肉体の中及び皮膚の近くにほんの少しだけオーラの層があるだけの状態で、実のところ、地球に住んでいるほとんどの人はこの状態です。日本人はそれでもオーラが強い方ではありますけど、それでも、割と弱いオーラの人がほとんどだと思います。
特に男性はオーラが弱くて女性はオーラが元々強いのですけど、女性にしても夜の仕事をしている人はオーラが弱い傾向にあるように思います。女性は夜の仕事をするとオーラを削りながら生活することになりますのでエネルギーの枯渇が早いわけです。
一方、主婦はエネルギーをあまり消耗しませんのでオーラが綺麗に保たれてる傾向が強いですけど旦那にエネルギーを吸い取られたりしますとそれなりにエネルギーを消耗したりします。
いわゆる聖者あるいはそれなりに修行している人はオーラが強くて、肉体の輪郭の周囲に白いオーラの層が浮き出ていて、それが後光のようになっています。
これは、実のところわざわざオーラどうこう言わなくても何となく感じ取っている人が多くて、オーラを感じられないのであれば鈍い人、という感じだと思います。
一応は世間一般ではオーラなんてなくて肉体だけだ、みたいなお話になってはいますけど、日本人であればオーラを感じられるのが割と普通で、外国人とか、鈍い人とかがオーラなんてなくて物質しかないとか言っていたりしますけど、そんなことを言う人は鈍いだけなのであまり間に受けてオーラがあるとかないとか考えずに自分が感じるところに素直にいればいいだけだと思うわけです。
オーラの感知能力は瞑想の深さとも関連していて、瞑想を特にしていなくても日本人であれば感受能力が比較的高かったりしますから空気を読む延長線上で他人のオーラを感じ取ることができるわけです。その時、後光が見えたりオーラの強さが視覚情報と合わさって見えるかどうかは人それぞれなわけですけど、基本的には、瞑想状態でサマーディになって静寂の境地になっていれば視覚情報として他人のオーラを見るのも簡単のように思います。その逆に、意識が曇っているとこのようなオーラの感覚もそれに応じて鈍るように思います。
とは言いましても上に書きましたようにほとんどの人のオーラは弱いですので普段はあまりオーラを意識することはないのですけど、オーラが強い人が視界に入るとすぐにそれと分かります。
ヨーガや精神修行の団体にいる人の中でもオーラが強い人は実はそれほど多くなくて、それでも、いるにはいますので、なかなかこの世界も捨てたものではないと思います。