真珠湾攻撃と命の重さ

2021-12-14 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

開戦の数ヶ月前にアメリカは日本の資産を没収、石油の禁輸をしました。

1941年7月25日 ルーズヴェルト大統領、米国対日資金凍結
1941年8月1日 石油の禁輸
1941年12月7日 真珠湾攻撃

現代において同じことが起こったら戦争になるのではないでしょうか。例えばアメリカが在米の中国の資産を凍結して中国に対する石油の禁輸を世界的に行ったら中国は開戦するでしょう。あるいは中国が日本の資産を凍結して日本への石油の禁輸を世界的に行ったら今の日本はへっぴり腰ですので開戦するかどうかは微妙なところですけど、戦前の日本は開戦したということです。

その後、アメリカが勝ったことで元々の原因が覆い隠されて真珠湾攻撃で騙し討ちをしたという宣伝がなされましたけど、要は勝てば官軍ということです。

まあ、その歴史的経緯はあるのですけど、ここで言いたいのはもっとスピリチュアルなことです。スピリチュアルの観点からすれば、この真珠湾攻撃は別の面が出てきます。

それは、歴史家や政治家の間でも常に議論になる、「命の重さが第一なのか、命以上のものがあるのか」という命題です。いつもこの2つが天秤にかけられてきたわけですけれども、スピリチュアルの観点からすれば命以上のものがある、という見解になります。

一般的に信じられているスピリチュアルは「命の重さ」を重視しておりますので、命の重さが第一ではないのかと思われるかもしれませんけど、確かに命の重さというものもありますけど、第一ではないわけです。

例えばヨーガでは「アヒムサ」ということが言われていて「(他者を)傷つけないこと」が第一になっております。ですから命の重さというものが第一にあるわけですけど、それは傷つけない、ということであって、命の重さとは実は直結していないのです。生命としての肉体としての命は割と簡単になくなってしまいますけど、それで魂が傷つくかどうかということとは割と別問題であるわけです。

本当に大切なのは魂が傷つくかどうか、という点であり、肉体に傷がつくかどうかということはそれに比べたら大きなお話ではないわけです。肉体や命も普通に大切なものではありますけど、スピリチュアル的には命は循環しており、命は大切ではありますけど死ぬことで完全に消滅するものではないわけです。

人が生きて成長するには多くの人の助けが必要で、命は貴重で、そう簡単に捨てるべきものではないですけど、それでも、命というものは循環しているわけです。

自分一人の人生だけを見てみても来世あるいは何世代も先に渡るまで奴隷化の精神で生きるのか、そうでないのか、というお話になるわけです。

長い目で見た時に、次の世代あるいは何百年、民族あるいは国の将来にわたって延々と続く「奴隷化」という魂の傷を作ってまでも「(肉体としての)命」を第一に考えて大人しく従うのか、あるいは、命よりも大切なものである魂を守るため、というところで大きく違いが出るわけです。表現としては、矜持にかけて戦いに挑むのか、みたいな言い方になってしまうこともありますけど、矜持のようにプライドのためというよりは、もっと奥深いところの、魂に傷をつけるのかどうか、というお話になるわけです。

当時の人が頑張ってくれたからこそ、今の日本人の名前が「ジョン」とか「デイビッド」とかにならずに済んだわけです。

最近、真珠湾攻撃をした元特攻隊隊員へのジャニーズ・櫻井翔のインタビューが世を騒がせておりますけど、肉体だけを見たら彼のように「どうして人を殺したのですか」みたいな稚拙な質問になってしまいますし、日本の矜持を守るため、日本を侵略から守るために特攻をしてでも、勝てないまでも精神的に負けない状態にまで持っていくために特攻ということをしたわけです。

元特攻隊員の方は、自分が守った日本に彼のような気概のない人が育ってしまったことを心底残念がっただろうと思います。こんな日本を作るために自分達は命をかけたのか、と、がっかりしたのではないでしょうか。

スピリチュアル的な観点からするとどちらも一応は正しいのですがより大切なのは元特攻隊員のような理解になります。命というものは循環していて、命も大きなものが存在していることを理解しているからこそ特攻もできたわけです。

日本は戦後の植民地政策でスピリチュアルなことが忘れ去られて肉体としての命が第一だと教えられてきたがために気概を失っていますけど、肉体としての命が第一ということは刷り込みがされておりますのでなかなかそれを取り除くのは困難かとは思いますが、ひとまずその同じ前提に立ったとしても肉体より大切なものがあることは理解できるはずですので、少しづつ呪縛から解き放たれてゆければいいと思います。

かと言って戦争が正しいとは思わないですけど、肉体としての命の話は元特攻隊員に聞くようなことではないわけです。肉体の命以上のものを信じて特攻に挑んだ人に肉体の命の話をするなんて見識が軽すぎます。

スピリチュアルをやっている人の中にも戦争というとヒステリーになったりする人がいたりしますけど、そういう人は往々にして戦争で悲惨な体験をされているわけで、それは解放する必要がありますし戦争というのはない方がいいですけど、そもそもスピリチュアル的には戦争を避けることができて、戦争に巻き込まれるような人生はそもそも選ばなければいいので、戦争に巻き込まれているということは本人に何がしかそこから学ぶ必要があるということでもあります。