スピリチュアル的にそれなりに成長した魂であればそれは自分が課した課題です。
基本的に全ての意識は自分の自由意志が尊重されていて何をすることもできるのですけど、集合意識もありますので好き勝手にすることはできなくて、自分の意識の強さに応じた自由というものが許されているわけです。
ですから、意識が弱い場合は自分が課したというよりは集合意識の側から「役割」として与えられた人生になって、その役割を全うすることが人生の中で求められます。
その上で、「自分はこれは嫌だ」とか「もっとこうなりたい」とか思うことがあるでしょうけど、基本的には元々のスタート地点がそうだったのですから、そのルートからそれほど外れることはないわけです。
そのような意識が弱い人が大半なわけですけれども、その場合は、自分が課した課題というよりは集合意識から与えられた課題をこなす人生になるわけです。集合意識とは言っても自分もその一部ですから一応は自分が決めたということにはなるのですけど、切り離された自分という意識がその役割を果たしている、ということになります。集合意識から分離をしてしまった後は割と個別の意識に包まれて、それ以外の集合意識のことはよくわからなくなるわけです。
もしかしたら自分もそれなりに成長した魂だったかもしれなくても、生きているうちに疲れてよくわからなくなってしまう、なんてことも普通にあります。
自分が生まれた理由を知ることはそれなりに有用で、瞑想で見出すこともできます。
そうすれば、自分に何ができて何が課題かを見極めることができるようになりますので目的に対して迷いがなくなります。
その目的と照らし合わせれば、もしかしたら辛い人生が目的外のことで全く避けるべきことかもしれませんし、あるいは、それこそが人生の目的で正面から対峙して突破すべきことかもしれません。
ですから、元々の目的がわからなければ人生の良し悪しというものは判断できないわけです。
ですけど、そういう、元々の予定というものはあるにはあるのですけど人生というのは途中で変わるから面白いもので、不意に発生した予定外のことであっても突破することができるのならば突破してしまうのが基本は良いように思います。
スピリチュアル的に慣れてくると生まれる前にそれなりに計画して生まれるわけですけれども、その場合でも突発的な変化というものは起こりますし、全く計画通りということはありませんから、トラブル対処というものは常に発生するわけです。
特に障害もない人生は割と初心者の人生で障害があればあるほど上級者向けと一応は言えて、それは基本は地上の生活という観点ではあるのですけど、そのこととは割と独立した形でスピリチュアルの成熟度が絡んできますので、地上の生活に慣れていなくて苦労していてもスピリチュアル的には成熟、という場合もあるにはあるわけです。
ですけど、スピリチュアル的に慣れてくると最初に人生を計画するようになって、人生の所々に「補給ポイント」をあらかじめ設定しておいて、そこで地上生活に必要な補給を行う、というようなことも最初に決めておいたりします。
一方で、それほど地上の生活に慣れていなくてとりあえずこの世界に転生した場合は苦労することが多いようにも思います。スピリチュアル成熟度とは無関係に、誰しも最初の人生は慣れていなくて苦労することが多いのではないでしょうか。