私が把握している限り、それは色々です。そう言ってしまうと話が終わってしまいますのでもう少し書きますと、人間に興味がない神様は全く興味がないです。人間界に何となく遊びで転生をして好き勝手に生きていて人間にあまり興味ない神様もいれば、とても心配してお父様やお祖父様あるいはお節介おばさまのようにあれこれと元気よく口出ししている神様もいらっしゃいます。
それはどちらも基本的には人格神としての存在で、それよりも高次になると人間界とは関わり合いがなくなって人間界に全くと言って良いほど興味を失うのですけど、それなりに人格が残っている神様の場合は人間界に多少は関与するわけです。
人として生きていて関係を持つのは大抵はこの人格神というもので、それ以上の関わりというのはほとんどないと言って良いと思います。
人格神であったとしても普通の人間からしたら愛に溢れていて言葉では言い表せないくらいの存在感と彷彿のエネルギーに満ちていて、それすらも「言葉を超えた」存在として認知されることもありますけど、そういう存在であっても階層があって、言葉を超えた部分と、言葉でコミュニケーションが可能な部分と、その両方を備えているものなのです。
いわゆる王族とか貴族とかある程度の高貴なお方というのはその傾向があって、高貴な家だからと言って必ずしも魂が高貴とは限らないのですけど、土壌として高貴な魂が宿ることができる環境があるとそこに高貴な魂が降りてきて下さる、ということはあるわけです。ですから、今の現在でそれほど徳がなさそうな人たちが貴族をしていたとしても子供ができた時にそこに高貴な魂が降りてくることができる土壌があることは大切で、今現在の貴族や王族があまり親しみのない人だからと言って制度としての貴族や王族は存続させる方が良いのです。連続してそのような高貴な魂が降りてくるわけでもないので貴族や王族が世俗的になってしまうことも時にはありますけど、そのような場合であっても、制度として存続していさえすれば神様の魂が降りてきてくださる、ということは十分にあり得ます。
よく、人間は平等だ、なんて言いますけど、全く平等ではありません。不公平という言葉を使うのは適切ではなくて、そもそも魂の成熟度合いがそれぞれかなり違っていてものの考え方や価値観などもそれぞれかなり違っているのに、そのように魂の成熟度がかなり違う人たちを十把一絡げにして人は平等とか言ってしまうことに無理があるわけです。
選挙で一人一票とかしてしまうと衆愚政治になってしまいますし、それよりは、王家あるいは貴族がノブレスオブリージュで国を納めた方がよっぽど良いとは思うのですけど、王家とは言っても政治の才能が必ずあるとは限りませんので、例えば昔の藩と殿様をそのまま存続させて殿様の中から政治の才能に優れた人が国を収める、という方法が理想的のように私には思います。殿様であれば基本的にノブレスオブリージュがあるわけで、そうは言いましても必ずしも政治の才能がなかったりしますので、ノブレスオブリージュのある中で政治の才能に優れた人を選挙で選べば良いわけです。
このようなことを言うと昔の貴族院や長老の制度を持ち出してきて否定してくる人がいますけど、現在の民主主義で変な政治家がたむろしている状況を見るならば、それよりも少なくともノブレスオブリージュがある統治の方がよっぽどマシであると言えます。
一部の神様は実のところある程度はそのように考えていて、今の民主主義は意図せずしてそうなってしまったけれども、どうにかしないと、と思っております。
神様と言ってもこの種の神様は人格神ですので全知全能の神様ではないので、ある程度の方向付けはすることはできても、細かな制御はできないのです。
ここ数百年で王政が倒されてしまったことにより神様の魂が転生して政治を動かすということがしにくくなってしまい、なかなか神様の意図した通りに国が動いていかない、と思っているようです。
そのように色々と悩んでいる神様がいる一方で、割と自由に生きている神様もいて、神様と言ってもそれぞれなわけです。
・・・とは言いましても、これは瞑想などで見聞きしたことですので本当のことかどうかはわかりません。