6次元のハイヤーセルフは、ハートでただ「ありがたい」と思う感覚として認知されます。それは言葉を超えていて、論理を超えていて、存在そのものであり、ありのまま、そのものであるわけです。愛そのものであり、感謝そのものであり存在の根源であるわけです。
ですから、それは論理という意味における理知的な顕在意識としての知覚・意識を持ってはいないといえばそうなのですけど、もう少し奥まったところにある、認知そのものと繋がった潜在意識とも言える意志としての意識は持っているわけです。
ですから、ハイヤーセルフはハートで感じて「愛」「感謝」そのものであるわけですけれども、それと同時に、根源としての意識は持っているわけです。
それはヴェーダンタではSat Cit Anandaとして表される要素でありますけど、存在(Sat)・意識(Cit)・満ちている(Ananda, 満ちているから至福)、という3つの要素のうちの1つなわけです。
その、Citとしての意識を持っていて、それは意思でありますので顕在意識より更に深いところにある根源としての意識なわけですけれども、それはAnandaとして満ちていますから、それを顕在意識が知覚すると「ありがたい」「愛」という感覚になるわけです。
一方で、ハイヤーセルフがハイヤーセルフとして「意図」を伴った知覚も持っていて、それは普通の人間の顕在意識では知覚がしにくくて、普通は上記のように単に「愛」「感謝」「ありがたい」として知覚されるわけですけれども、実のところハイヤーセルフとしての意図・意識はそれはそれとしてあるわけです。単に、普通の人間の顕在意識としては知覚しにくいだけで、実のところあるわけです。
それは愛・感謝に含まれた顕在意識のようなもので、実のところ普通の人間の顕在意識より掴みにくいものではありますけど、それはぼやっとしたものではなく、割と明快に鋭い思考になっているのですけど、しかしながら、普通の人間の顕在意識ではなかなか捉えにくいものであるわけです。
ですから、ハイヤーセルフの意志は存在して鋭く理知的ではあるのですけどそれは普通は愛と感謝に包まれていてなかなか普通の人間の顕在意識では認知しにくくなっているわけです。顕在意識から制限が取り払われて、トラウマも消え去って、ベースとなる波動が高まることによりハイヤーセルフと顕在意識が次第に融合し、やがて、最初は愛と感謝としてしか認知できなかったハイヤーセルフの思考が少しずつ顕在意識で認知できるようになってゆく気が致します。
そうして一体になる前の段階では一瞬の「直感」としてハイヤーセルフの意志は認知され、それは実のところ瞑想をしていなくてもほとんど全ての人がおそらくは時折感知しているもので、ふとした時に「そういえばこのことを直感で受けていた気がするけど忘れていた」なんてことはほとんどの人が経験しているようにも思いますけど、その種の直感が直感を超えて普通の意識として現れる状態というのはすなわちハイヤーセルフと繋がるということでもあって、ハイヤーセルフと繋がって愛と感謝がベースになって生きるようになれば直感が直感としてではなく顕在意識でその直感を割とそのまま認知できるようになり、それはすなわち、高次元と繋がり始めた、ということでもあると思います。