本山博先生の分類に基づきますと、私の「6次元のハイヤーセルフと繋がった状態」はカーラナ次元に相当するようです。
カーラナ次元の霊との一致の時には、感覚的なものや感情的なものではなくて、光に満ちて至福のような状態になる。だから初めのうちは、これは神様と一つになったのだというふうに感じられる。しかしこれはやはりまだ神様の世界ではない。一種の恍惚的な至福をもたらすが(中略)、まだ、神様の世界ではないのです。(中略)そういうカラーナ次元の、非常に知的な次元の存在と一つになって至福の状態、恍惚としたような状態になっても、やはりそれに落ちてはいけない。やはり、それから出てそれを超えていかないといけないのです。「本山博 著作集5」
本山博先生の分類に基づきますと、以下の順番になります。
・肉体
・アストラル次元(主に感情、アストラルとしてのチャクラがある。匂い、色、形、音、感情としての幸福)
・カラーナ次元(コーザル次元、知的、原因、カルマ、カラーナとしてのチャクラがある。透明、光、思考、理念、至福)
・プルシャ(本山博先生の言うプルシャとヨーガ一般のプルシャは少し異なるようです)
・創造神(神様)
ヨーガ的にはプルシャとは純粋精神でありサンキャ哲学としてのプルシャですけど、本山博先生はプルシャを一つの段階として位置付けていて、具体的には、純粋精神としての性質が魂の働きとして出てくる段階として位置付けているようです。それにより、プルシャが願えば現実が動く、という効果が現れることになります。
それと、先生の著作でたしかカラーナ次元の一致(三昧)が起こるかプルシャの一致(三昧)が起こるかは人それぞれ、みたいなお話を読んだように思います。
(略)...によって、カラーナの次元の存在と接触一致するか、或いは個人のカルマを超えたプルシャの次元の存在と接触、一致するかが定まる。「本山博 著作集8」
これは今からすると納得できて、そもそも、これらは一応は分類されているものの、そこまで切り離せるものでもないと思うのです。結局、重なっているので、アストラルの次元まではアストラルが強く働いているけれども、カラーナの次元から先になるとカラーナとプルシャとがそれなりに重なっているように思うのです。この部分は先生の言うことではなくて私の解釈でありますけど、カラーナとプルシャの入り混じったハイヤーセルフが繋がってきて、分類として、あるいは、優勢な段階としてカラーナの特徴が出ているように思うのです。結局はカラーナもプルシャもどちらも同時に存在するものですから、必ずしもカラーナだけ、あるいは、プルシャだけ、とはならないように思うのです。
そして、最初はどちらも重なってはいるもののカラーナとしての特徴が先にでて、やがてはプルシャの特徴が出るように思うのです。
と、言いますのも、私が子供の頃に幽体離脱した時の記憶で言いますと、私にこのハイヤーセルフとしての自分のオーラをくっつけたときに、カラーナとプルシャとを区別していなかったように思うのです。ただ、3分の1くらいを先にくっつけて活性化させて、オーラを定着させようとしたようです。私の今の段階はここになります。その後、残りのオーラを注ぎ込んで更に覚醒させて多次元の目を開く段階が将来にある筈ですけど、その時に、カラーナとプルシャとかを分けてはいなかったように思うのです。あえて分けるのだとしたら最初に定着させるためにオーラを分けただけであり、元のオーラは同じものなわけです。同じオーラを分けて最初に注ぎ込んで、その結果としてカラーナのような特徴が出て、おそらくはもう少し将来に残りのオーラを注ぎ込むことでプルシャとしての意識の覚醒をして多次元の目を開くように思います。
まあ、未来のことですので本当にそうなるのかはまだわかりませんけど、少なくとも今のところはカラーナとしての特徴が優勢に出ている状態と解釈して良さそうに思います。