世間では「簡単に覚醒!」「簡単に手放せます!」とか「簡単にアセンション!」みたいな宣伝が多くありますけど、実際のところ、既に「階段」をある程度上がっている人が簡単と言っているだけで、まだ階段を登っていない人が簡単に上がれるかというと、上がれないのではないかなと思うのです。
ですから、世間で「簡単に!」みたいなことを言っているのはスピリチュアル・ビジネスの宣伝であることが多くて、悲しいことですけど、実際にはそんなに簡単ではないと思うのです。簡単と言うからこそ半分騙された形で初めても実際に簡単に目覚めたりすることも多少はあるかと思いますので簡単と言うことそれ自体がそこまで悪いことでもないとは思うのですけど、時に、ちょっと無責任に簡単と言い過ぎるのではないか、という気も致します。
実際、精神的に凄く苦しんでいる人が大勢いるのに「簡単に悩みが解決します!」みたいなことを言って宣伝するのはとても無責任だと思うのです。実際、それだけ苦しんでいる人はそう簡単に解決しませんし、簡単に解決する人はあまり問題を抱えていないとか既にハードルを超えている人だったりします。
どちらにせよ、ある程度、自分で何がしか努力をしないといけないわけですね。
こう言うことをいうとスピリチュアルな人は「もう今は努力なんていらない時代なのだから、努力なんて言うなんて古いし、昔ながらの制約に縛られている。そんな価値観は手放さなくてはいけない」みたいに、最近のスピリチュアルで都合よく使われている耳障りの良い言葉をずらずらと並べてくる方もいらっしゃるかもしれません。ですけど、そんな簡単だと言ったところで実際に簡単に解決しないような深い問題を抱えていらっしゃる方が大勢いるのが現実で、そんな苦しんでいる方に「簡単」などと気軽に言うのは、繰り返しになりますけど、とてつもなく無責任だと思うわけです。
「努力」みたいな「重い」精神は不要で手放さないといけないのは確かですけど、それと同時に、既に重い現実に沈められて手も動かせなくて足も動かせず、部屋から出ることも苦しく、引きこもりだったり、学校に行こうとするだけで泣き出したり体が痺れたりお腹が痛くなったり同様に職場に行くことも出来ずに苦しんでいる人が大勢いるのに、どこの口が無責任に「簡単に覚醒」「簡単に解決」「簡単にアセンション」などと言えるでしょうか。
まあ、確かに、ある程度の人であればそのように「簡単」なのは事実ですけど、そんな人にわざわざ簡単などと言う必要もないのかなと思いますし、そんな人であれば既にいわゆる「手放し」なども進んでいて、あとはちょっとのヒントさえあれば覚醒したりするかもしれません。
結局、何を言いたいかと言いますと、スピリチュアル的な目覚めというのは基本的には「難しい」ものであって、具体的には、基本的に数年間の「現実社会から離れること」が必要なわけです。完全に社会から離れることは難しくても仕事の量を減らしたりして精神修行に使える時間を増やし、なるべく社会生活から離れ、物質社会から精神へと目を向けさせる期間が絶対に必要で、それは概ね数年は必要に思います。ある程度まで達してしまえば仕事をしながらスピリチュアルを深めてゆくことができますけど、ある程度に達するまでは現実社会と離れていわゆる修行に近いものをする必要がるように思います。それは必ずしも山奥である必要はないのですけど都市の自宅であってもある程度の精神修行ができるところに数年通うこと、それが必要に思います。そのような場所に行って先生にきちんとつくことが必要に思います。
ですから、世間であるような「簡単にスピリチュアル」「簡単に現実を変える」「簡単に現実創造」「簡単に手放し」みたいなのは「なんとなくその気になるだけのスピリチュアル」でしかなくて、本当のスピリチュアルは、特にその最初は数年の隔離期間を必要とするものだと思います。
もちろん、元々ある程度のスピリチュアルな精神を伴って生まれてきた人にとってはそのような期間は必要としませんけど、そこらにいる自称スピリチュアルで具体的な精神的な特徴を身につけていなくて単にスピリチュアルなファンだったりする場合、残念ながら、実際のところ「ファッション」のスピリチュアルでしかなかったりします。
そういう人たちもスピリチュアルの入り口として大切な時期であって、そのようなファッションの段階を否定するものではないですけど、ファッションの人たちが「簡単」みたいな言葉に惹かれて近づいてみれば、実際はかなり真面目にやらないといけないことに気づいてびっくりする、みたいなことが度々起こる気が致します。
結局、そうして、最初はファッションや「簡単」みたいな謳い文句で近づくものの、実際にスピリチュアルをしようとしたら自分の過去のカルマなどに正面から対峙しなくてはならなくなって、その過去からの積み重ねを否応なく解消しなくてはならなくなりますので、ある程度の辛さというのは必ず付き纏うものなのです。
ただ、そうだからと言って必ずしも辛いことばかりではなく、楽しく笑いながらスピリチュアル、というのもあるにはあると思います。あまり気にせずに笑っていればいつの間にかすんなりとカルマの解消がなされて覚醒した、みたいなお話もあります。具体例で言えば、私の過去生の妻が大勢あの世にいてコミュニティを作っているのですけど、みんないい子たちばかりでいつも楽しく笑いながら暮らしていて、そうしているうちにいつの間にかカルマの解消が済んでいて覚醒に近づいていた、みたいなこともあります。そのように、環境や友人に恵まれてすんなり覚醒に近づくこともありますけど、一般的にはある程度の社会からの隔離期間と精神的なカルマの解消の期間が必要になってきて、それはそれなりに辛いものなわけです。
まあ、辛いとは言っても、そのまま辛い現実を繰り返して苦悩を継続させるよりもカルマと早々に対峙して解消した方が幸せと言えると思います。そういう意味で、トータルに見ればそれこそが「簡単」ということなのかもしれませんけど、それは一般的に「簡単」と聞いた時の印象とは異なるわけで、基本は、そんな「簡単」なんてことはなくて、普通に修行なり何なりで自分と対峙する時間が必要に思います。