そういう仮説が成り立つように思えてきました。
ヨーガ・スートラのサムヤマの説明によると、「サムヤマをかち得ると、知識の光が来る」とあります。ここに2つのキーワード、「知識」と「光」があります。これはどちらもカーラナ次元の性質と一致していますので、どうやらヨーガ・スートラ的に言うサムヤマがカーラナと一致していると見るのが良さそうです。
サムヤマとはヨーガ・スートラの階梯であるダーラナ(集中)・ディヤーナ(瞑想)・サマーディ(三昧)が続いて起こっていて1つの対象に対してなされることのようで、それはカーラナ次元の認知と一致しているように思います。
ヨーガ・スートラのサマーディ(三昧)にも色々と種類があって、ここでいうサマーディはアストラル次元のサマーディと解釈することもできますけど、それよりも全体的に捉えて、カーラナ次元に達した時に単にサムヤマと呼ぶ、と大きく理解するのが正しいように思います。
具体的にサムヤマの一要素であるサマーディとはなんぞやを語りだすとなかなか定義がはっきりしないことになってしまいますけど、それよりは、サムヤマの段階が単純にカーラナ次元である、とした方がスッキリします。
ここでいうカーラナ次元というのは本山博先生による分類を元にしていますので、以下のようになります。
ヨーガ・スートラのサムヤマ = 本山博先生のカラーナ次元
補足ですけど、サンスクリット的にはカーラナですけど本山博先生はカラーナと表記しているのですよね。どちらも意味的には同じことではありますけど。
光だけを基にして分類してしまうのはちょっと荒っぽいかもしれませんけど、実のところ、他の要素と合わせてもなんとなく一致しているような気がしております。
とは言いましてもまだあくまでも仮説でありますので、今後、様子を見ていきたいと思います。