光、という観点からだけ見るとテーラワーダ仏教の色界第2禅定あるいは第3禅定がカーラナ次元に相当という解釈もできますが、話はそう簡単でもなさそうです。
第二禅定の領域は「光」の世界と呼ばれています。細分された三段階のレベルの低い方から順に、小光天、無量光天、発光天(光音天)と名付けられています。意味は名前の通り、光が少ないか、無量か、自ら光を放つかという、光の度合いの差になります。「悟りの階梯(藤本 晃 著)」
同書のこの部分の説明だけを見ると第二禅定がカーラナ次元の特徴のようにも見えてしまいますが、どうやらこの次の第三禅定においても光の強さを元にした分類になっています。
第三禅定では(中略)第二禅定より一段高く「浄光」と呼ばれています。少浄光天、無量浄光天、遍浄光天です。(同書より)
このあたり、テーラワーダ系の階梯は禅定の上に行けば行くほど曖昧になってきて、なかなかスッキリとした分類になっていないような気が致します。ですので、必ずしも禅定のどの段階が本山博先生の分類におけるカーラナ次元に相当するとは言えないように思います。
この辺りは、禅の分類の方がスッキリしているように思いますし、禅であれば、道元の得た悟りはカーラナを超えていた可能性はありますけど禅の流派としてはカーラナ次元が悟りのゴールデあるとみなせて、スッキリしているわけです。一方、テーラワーダ仏教の分類は最後の方が曖昧で、意図的に部外者に理解しにくいようにそうしているのか、あるいは単に成就者が少ないのかはわかりませんけど、傍目にはなかなかわかりにくいものになっているように思います。