サハスララにオーラを集めて静寂の境地に至るのがまず第一の目標で、その後は、感謝の気持ちが湧き出てきてサハスララの周囲へと半円状にオーラが広がってゆくのを感じます。
静寂の境地自体は個人的なもので、サハスララにオーラが集まって、個人的な経験として寂静の境地、いわゆる極楽とでも言っても良いと思われる安楽な気持ちに至ることができます。それはそれで重要で基礎ではあるのですけど、それが終わりではないわけです。
感謝の状態に至る前に、まず最初にその静寂の境地に至る必要があるわけですけれども、静寂の境地になるためにはサハスララにオーラが集まれば良いわけです。それではどうやってサハスララにオーラを集めるかというと、最初から集まっている場合もありますし、まだサハスララにオーラが集まっていない場合はオームなどのマントラを使ったり単に眉間に集中したりして瞑想をしないといけないわけです。少し時間をかけて瞑想する必要がある場合もあれば、割とすぐにオーラが集まって静寂の境地になる場合もあります。
割と感謝の瞑想をする段階に至っても、それでも日によってはすぐに感謝が湧き出る状態にならないこともあって、その時は段階を踏んで、まずはサハスララにオーラを集めて静寂の境地に至る必要があるわけです。あるいは、座るとすぐに感謝の気持ちが湧き出てくる時もあります。そのような時はわざわざサハスララにオーラを集めるとかする必要はなくて、単純に感謝の瞑想だけをすれば良いわけです。
感謝の瞑想をするにしても、その前提条件に関しては今までとは変わらなくて、必要に応じて静寂の境地に入る必要があるのは変わらないということではありますけど、一旦、感謝の瞑想に入ってしまえばサハスララの状態はあまり気にしなくてもいいわけです。
感謝を心の中で唱えてもあまりエネルギーが湧き上がってこない、愛や感謝の根源エネルギーが湧き上がっていない時はサハスララの状態をチェックして、サハスララにエネルギーがあまり集まっていない場合はオームやら何やらのマントラも使って静寂の境地に入り直します。
あるいは、最初から感謝の状態に至っていればその必要はなくて、単に感謝の瞑想をすればいいわけです。
それは、サハスララにオーラを集めるまでの段階とその後とで手段が違うという言い方もできますし、前提条件という説明もできます。サハスララのエネルギーの集まりは前提条件であって静寂の境地も基礎なわけで、その基礎の上に、感謝と愛と、更には慈悲にまで繋がる状態があるわけです。
それを瞑想と言えばそうですけど、もはやそうなると瞑想というよりは日常生活の普通のお話になってきて、生活する上で周囲の環境などに対して感謝を常に感じることそれ自体を瞑想というのであればそうですけどわざわざ瞑想と言わなくても日々の生活それ自体が輝くものになって、それを日常生活における瞑想というのか日常生活におけるサマーディというのか日常生活における修行というのかそれは見る人それぞれですけど、もはや座った瞑想という範疇を超えて、日常生活そのものが変容してゆくわけです。
主に、サハスララにオーラを集めて静寂の境地に入るお話は個人的なもので座って行う瞑想ですけど、その後は、もはや座った瞑想だけに制限されずに、生活にまでその瞑想の質が広がってゆくように感じます。