魂の消滅は「わび・さび」の儚さ

2022-02-16 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

「わび」で悲しみ、「さび」で儚(はかな)くも散ってゆく。

実のところ魂の消滅というものは至る所で常に起きていて、それはこの世界の日常であり、それは儚くも悲しいものであるわけです。言い表すならば「わび・さび」と言うこともできて、この世の儚(はかな)い現世の夢のようなものであるわけです。

自分というものがグループソウルから離れて分霊となり、人生を送り、結果として自分の一部は大元のグループソウルから不要とみなされて消滅することがあります。グループソウルの浄化の一環で魂の一部が切り離されて無に返すということが行われているわけです。文字通りそれは消滅でエネルギーに返る、無に帰すことで、人生の経験や思いなどの全てが無くなってしまうことであります。

それは概ね魂全体のオーラのうち5%ほどで起きていることであり、大抵の場合はその心配はないのですけど、それとは別に、あの世には荒っぽい人がいますから、そういう血の気が多い人(霊体、あるいは体を持った人間)は邪霊っぽい意識体を見かけたら片っ端から消滅させていたりしますので、そうなると文字通り、その邪霊の意識体は無に返ることになります。それほど邪霊でなくても不愉快な雰囲気を出している魂までもが手当たり次第に消滅させられている場合も多々あるように思います。この場合、5%とか生ぬるいお話ではなくて、分霊として存在している魂が丸ごと消滅させられてしまったりします。

人生を送って、転生を繰り返して、泣いたり悲しんだり、という記憶、はたまた転生を繰り返して経験を積み上げてきたもの、それら全てが無に戻ってしまうわけです。

それはとても悲しいことで、儚い夢のようなお話であります。

これは必ずしも起こるわけではないことですけど、意図していなくても、不意に明日には魂が消滅している、ということもあります。

一方で、肉体を持って地上に転生しているのであれば体に守られていますので割と安全であると言えます。

ですから、あの世というのは割と怖い危ない世界であるわけで、だからこそ、あまり遠出をせずに仲の良い人たちでコミュニティを作って安全に暮らすという一面もあるように思います。

漫画とかであるような霊界の邪霊との戦いというのは割とそこらにあるわけで、とは言いましても、そんな戦いのお話にそもそも関与しないで暮らせたりもするわけです。あの世の世界は割とお互いが関与せずに暮らしていて、邪霊と戦っているような人たちのコミュニティと、ただ楽しく暮らしているコミュニティとはお互いに関与しないことがほとんどで、そもそも生きている世界が違いすぎるからお互いに「見えない」状況になっていたりします。

そうは言いましても、事情があったりして自分が落ち込んでしまったりすると邪霊のように見做されて、ふとそうした荒っぽい人の近くにフラフラと近寄ると急に攻撃されて消滅させられる危険性もあるわけです。

死後の姿である幽体のままこの地上を彷徨って旅行っぽく楽しむこともできるのですけど、どこにそんな荒っぽい人がいるかはなかなかわかりにくくて、視界に見えなくても壁の向こうにいたりするので、幽体のまま地上を楽しむのは危険が常にあるわけです。

それよりは人間として転生する方が遥かに安全で、確かにお金とか住居の心配とかがあるにはありますけど、魂の消滅と比べたら割とマシな心配であると言えます。

地上の肉体を持った人生は消滅という観点から言うと割と緩いのですけど、特にあの世は割とシビアで、残酷で、かなりの悲しさも伴った、厳しい世界であると言えます。