時代を行き来しているのは「理解」を深めるため

2022-03-18 記
トピック:スピリチュアル: 歴史

神様がなぜこの世界を創造して、わざわざタイムラインなどという制約を設けて時間軸に囚われたゲームをしているかというと、それは神様が「理解」をしたいからです。

実のところ自由な思いというものは正確な理解というものは割ともともと苦手で、直感というものが現実に即していないことが多々あるわけです。一方、タイムラインの制約を作ったり、三次元の肉体的な制約を作ることで直感に即した自由な思いに対してのある種の歯止めをかけることができて、想念だけでは意味不明で無秩序になってしまって「理解」が進まない状況になりがちなところに対して、三次元的な物理的および時間的な制約を設けることで秩序を与え、「理解」を促進させようという試みがなされているわけです。

タイムラインを作ったり、三次元の物理的な制約を作ることでアストラルな自由な思いを制限し、そのことで、この世の真実に対する理解を深めようとしています。それは、(宇宙的、あるいは個人的な)人の心の理解、というお話なわけです。物理的法則は単にルールとして都合が良いから定めた制約というだけで、実際のところ、この宇宙を理解することが神様の目的で、物理的法則は単なるそのための制約に過ぎないわけです。

ですから、未来を垣間見るとかは本筋ではなくて、見ることそれ自体にさほど意味はなくて、神様の意図からすると「あぁ、前は失敗してしまった。今度はうまくいくかなぁ・・・」という感じで上から愛と共に眺めている時に未来も過去も見ている、という、その程度のお話なわけです。

失敗したら・・・、そのときはまたやり直すか、あるいは、もうそもそもその筋は見込みがないということであればやり直さずに根本から見直す、ということもあり得ます。あるいは、仕方がないのでそのまま受け入れる、という場合もあります。全ては神様の意志次第なわけです。

ですけど、ちっぽけな人間が考えているような未来予知とかは神様は興味がなくて、そもそも神様の方としても順番に見てみないとよく理解できない、という点に関しては実のところ人間と変わらなくて、タイムラインを作る力はあっても、認知というものと理解という面に関しては、ある意味、地上で生きている人間の意識による理解に頼っているという面もあるわけです。

人間というものは神様の分霊と言ってもよくて、その人間が認知をすることで神様と繋がって、神様はその理解を得ることで喜びが人間と一体になります。

物事を理解した時に喜びや感動があるのは何も自分一人が喜んでいるわけではなくて、文字通り、神様も喜んでいるわけです。その新たな認知が生まれて理解を得ることこそ神様の目的であって、それをしている人間というのは神様から愛されて然るべきなわけです。