良い願いも悪い願いも均等に叶う

2022-03-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

スピリチュアルが進んできて胸の奥底で全体意識のようなところに繋がると、自分なのか集合意識なのか区別の付かない様々な思いが自分の中に流れ込んでくる時があります。自分と言うのか集合意識というのか、自分なのか集合意識なのか区別の付かない思いが自分の中に流れ込んできます。それはあたかも自分が願っているかのようにも感じられ、自分の自由意志で願っているかのようにも感じられるのですが、その奥にまでずっと意識が続いていて、どうやら、全体意識と繋がっているようなのです。

そのような、全体意識なのか自分の意識なのかよくわからない、いわば、個と集合とが繋がった状態で何かを考えると、それは、自分が考えていると言うこともできますし、集合意識が考えていると言うこともできて、どちらとも言えるような状態になるわけです。

ですから、自分が願った、と言うことも正しいですし、集合意識が願った、と言うこともある意味は正しいのですけど自分という感覚は常に残っていますので集合意識だけが願ったということにはならなくて、自分と集合意識の融合体が何かを願う、ということになるわけです。

そのような、自分と集合意識が合わさった状態ですと、自分が意図していないような怖い思いも流れ込んでくることがあります。例えば、ここ5年くらいで目立つのは次のような大衆の願いです。

・町に外国人が多すぎ。うるさいし、街を汚すし、店や道でのマナーも悪い。もう外国人あまり来ないで欲しい。
・世界に人が多すぎ。少し減らすべき。

このどちらも、集合意識として度々そう思って願っていることが度々感じられて、私が瞑想などをして「地域」の意識と繋がるときに度々このような思いが伝わってきたのですけど、実際のところ、この種の集合意識は良いものであれ悪いものであれ、均等に叶うものなのだと思います。

引き寄せの法則で、特に、集合意識が願うことは叶います。

前者はコロナで国境が閉鎖されたことにより実現しましたし、後者もそのうち色々あってそうなるのではないでしょうか。

これは、見ようによっては「良い願いも悪い願いも均等に叶う」と解釈することもできますけど、ただ単に大衆の欲求を見ているだけ、と見ることもできます。自分も大衆の一部であるわけですから、あたかも自分が願っているかのような錯覚と、大衆が願っているという感覚、その両方が同時に感じられるわけです。

慣れていないとこの種の思いで自己嫌悪になってしまうこともあるかもしれませんけど、慣れれば、それが自分の思いではなくて大衆の願いだということがはっきりとわかるようになってきます。

とはいえ、そのような思いを感受することがあっても自分の波動が上がってくれば影響されることも減ってゆきますのでさほど気にすることはないと思います。

今はそのような外国人に対する願いはなくて、今は、巨大津波というイメージと共に自然災害で中国が洗い流されてしまえ、というような集合意識が読み取れます。個人的に思うのは津波となると日本にも被害が出ると思いますけど、そのあたりはあまり考えていないようで、何だか変な集合意識です。日本にいる自分達も流されてもいいから巨大津波で中国を洗い流せ、という集合意識が読み取れたりします。中国大陸は大きいので内陸に津波が届くとは思えないですけど、どうなのでしょ、とは個人的に思いますけど。あるいは、北京にまで届くような巨大津波となると世界が壊滅的な被害を受けると思いますけど、よくわかりませんね。

少し前からスピリチュアルでは大津波が言われていて、内陸、特に長野とかそのあたりが安全とはよく言われていますけどね。私自身、それもそうかなぁとは思いつつも、今はそこまで強い警告が来ていないので今のところ割と水際の標高30mくらいのところに住んでいます。危ない時はもっと具体的な警告が来ると思いますしね、今は様子見です。それに、長野が良いと言われているとはいえ、実際に長野の各地をGoogle Mapや不動産サイトで見てみると「ピリピリ」とした感じが来るので、今はむしろ長野とかの方が危ないんじゃないかなぁ・・・ と思うのですが。後々は長野とか高地が助かるのかもしれませんけど、「今」行くべき場所ではないのではないかな、という感じです。こういうのはタイミングが重要ですしね。あるいは個人的に私に合っていないだけで何もないかもしれないですけど。どちらにせよ主観でしかこういうのは見れないので個人的には「そこじゃない」という感じですね、少なくとも今は。

私の守護霊(見えないガイド)が言うには この種の集合意識の力が日本では強くて、しかも実体化させて現実に引き寄せる力がある、とのこと。他の国では個別に恨みを持ったりしてそれぞれが怒ったり呪ったりということはあったとしても現実に引き寄せる力を持ってはいないか持っていたとしてもとても弱くて、外国では顕在意識の目に見える形及び感情のレベルで怒ったり罵ったりしているので表面上は怒っているように見えてもその呪いが現実化して相手を滅ぼすなんていうことはほとんどないようです。外国ではせいぜいお互いに憎しみあって戦争の連鎖になるくらいが関の山だそうですが(それはそれで悲しいことではありますが)、日本人の場合は表面上は怒らないので従順かのように見えるけれども集合意識の面で繋がり合っているので願いや恨みが集合意識としての合意になって現実を引き寄せて時代を実際にそちらに動かす力を持っているようです。ですので、例えば中国などに対する恨み及びその対象に対する願いが頻繁に現実化するようで、少し前まではマスコミの親中宣伝が功を奏して中国に対する印象はよかったですけど今は嫌いな国になっていて、しかも集合意識を読むと「天変地異が起こって津波で洗い流されてしまえ」、みたいな願いが読み取れるので、それが実際、あの大きな中国に対してどのくらい効果があるかどうかはわからないですけれども、上海や香港のような湾岸都市くらいは被害があるかもしれないですね。