シバナンダは神智学だった?

2022-04-02 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

Divine Life Societyはてっきり古典ヨガだと思っておりましたが、シバナンダの弟子であるスワミ・ヴィシュヌデヴァナンダ氏の著書にそう書いてあって意外に思いました。ちなみに、同じシバナンダの名前がありますけど本人が作ったDivine Life Societyと弟子が作ったシバナンダ団体とは別物です。先生は割と一緒みたいですけど。

偉大なるヨガの師であり、ヒマラヤのリシケシにある神智学会の創設者であるH・H・スワミ・シバナンダ 「ヨーガ大全」

古典ヨガと神智学は似ているのは実は当然で、神智学はヒマラヤで修行した人によって創設されたので当然とも言えますけど、シヴァナンダが神智学だとは思ってもいませんでした。とは言いましても同書は昔にも読んだことがありますので、その時も同じように思ってスルーしたか忘れていただけのような気もしますけど。


ですけど、見たところ、神智学で言われているような階梯ではなくてヨガ的な階梯、しかも、割と独自の階梯になっているような気が致しますので、独自の流派と捉えた方が良い気も致します。それは割と実体験に沿っていて、参考になります。

同書によれば、以下の階梯を取ると言います。

7つの階梯
1.スベーチャ 真理へ憧憧
2.ヴィチャラナ 正知を求めること
3.タヌマナサ 心の死滅
4.サトヴァパッティ 純潔(サットヴァ)の達成。自身の中にある直接真理(私はブラーマン、神である)を知ること。サムプラジュナタ・サマーディ。二元論の残る状態。この段階までが「弟子」。


この次の段階から、個別の自我が高次の自己と合流する、と言います。

サムプラジュナタ・サマーディを超えた残りの3つの段階は、知るもの、知識、知られるものである。

これは翻訳がわかりにくいです。同著者の他の英文を以前に読んだときに散文的な書き方が多かったのでおそらくこれは単にキーワードを言ったということだと思います。文字通り読んでしまうと残る3つの段階がそれぞれに対応すると読めてしまいますけど実際の意味としてはそうではなくて、それら3つの区別がなくなるような段階が残りの3つの段階、ということだと思います。

知られるものも、瞑想されるものもない。瞑想されるべき対象がないので、いかなる客観的知識もあり得ない。個別の自我、「私」の意識が普遍意識と合流し、その中で人間は、自分自身に対して何ら外的事象を見ないので、いかなる認識者もまた存在し得ない。(同書)

5. アサムサクター 何ものにも影響されないこと。シッディ(超常能力)に迷わされないことによりここに至る。
6. パラルタバーヴィナ 外的事物が現存しない
7. ツルヤ あらゆる所に神(ブラーマン)だけを見る

これらは表現は違えども、色々な流派の階梯と一致するように思います。

ただ、シバナンダ系の弟子をしている方に聞いてみたら「シバナンダが神智学だなんて、聞いたことない」と言っていましたので、訳だけのお話で、別物かもしれません。