密儀参入(イニシエーション)をいつ行うか

2022-04-13 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ヨーガあるいは密教あるいはオカルトの流派には得手してイニシエーションという密儀参入の儀式を伴うことがありますけど、実際のところ、それをいつ行うのかという点に関しては流派によって違いがあるようです。

流派によっては弟子になるのとほぼ同時に割とすぐにイニシエーションをして弟子入りをしますが、割と伝統的なところ、特に、マスターあるいは大師と呼ばれる方々がいるようなところではイニシエーションを行うことができる段階に達していない人にはイニシエーションを与えないのが通例となっているようです。

これは、弟子入りがイニシエーションとしている流派と、弟子の段階ではまだイニシエーションに値しないと考える流派との違いで、割と伝統的な流派においては後者が主流になっているように思います。イニシエーションをすることで大師の僕あるいは手足となって世界に対して貢献することができるという段階が後者なわけです。

一方で、参入してきた人にイニシエーションを割とすぐに与える流派もあったりして、そのような場合、弟子のレベルもまちまちな気が致します。

伝統的なイニシエーションの場合、弟子が心の浄化を達成して、クンダリーニが動き出し、クンダリーニがサハスララにまで上昇し、更にはチャクラが開けてきてオーラがチャクラごとではなく一体となって動き出してきたくらいの段階に達してようやく第一段階のイニシエーションを与えるようです。

その後に第二段階、第三段階と続くのですけど、成長するにつれて次第に大師のレベルに近づいてゆきます。

一方で、すぐにイニシエーションを与えてしまうような流派の場合は弟子がクンダリーニすらほとんど動いていない場合も多々あって、弟子が10年修行したところで少し成長したくらい、ということも普通にあります。

本来の意味におけるイニシエーションが割と高い段階のものであるとして、現代社会においてはそのようなレベルに達してイニシエーションを受けられるような人も少ないのではないかなと思います。元々、昔にしてみてもそのようなイニシエーションは伝説として語られるくらいのお話でありますし、現代においては更に稀なのではないかなと思います。

であれば、弟子に割と早い段階でイニシエーションを与えてしまうというのも、師匠の罪のない嘘と言いますか、弟子のやる気を出させるための、悪気のない行為だったのかもしれない、という気もするのです。大師に近いマスターになりますと未来も見通せますから弟子がどのくらい成長できるのかを見通すこともできて、この弟子はそれほどでもないけれども、この人生では割と成長したような感じがする、ということでイニシエーションを時期尚早に与えてしまって、それが一部の流派に続いているような気も致しますけど、どうでしょうか。