欲望の渦で心を満たすより瞑想で心を穏やかにする方が100倍幸せ

2022-04-17 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

欲望を満たしても満たしてもそこには辛さが残って、一時的に傷つくことから離れられたとしても心を少しでも傷つけられたら激しく怒ってしまうわけです。それは一見すると穏やかに暮らしているように見えても心の中は憎悪と混乱と雑念でいっぱいで、普段は道徳を守って大人しく暮らしているものの、少し憎悪が芽生えるとすぐにキレてしまうような状態を作り出してしまいます。

特にこのネット社会はそれが顕著で、現実よりも心の世界を優先することが多くなっていて、心の中でのイメージが増大して現実の上に仮想空間として覆いかぶさっていますから、現実でなくても心の中のイメージが先行すればそれがあたかも現実かのように解釈して相応に苦しくなったり悲しんだり怒ったりしてしまうのです。

この、心が優先する状態というのは一見するとスピリチュアルかのように見えるかもしれませんが、それは誤解されたスピリチュアルというもので、実のところビジネスや世界の統治などにおいては高度なスピリチュアルな知識が存分に使われていて、あたかも世界はスピリチュアルとは関係ないと思わされている理由としては、スピリチュアルな知識を得てしまうと人々が真実に目覚めて支配から解放されてしまうので支配者層に都合が悪い、という現実があります。

現実としては、心が現実より優先するようになれば支配しやすくなるので人々がイメージの中でなるべく生きて現実よりもイメージを優先するように誘導し、例えばコロナなんてわかりやすい例ですけど、実際の怖さよりもイメージ優先で、現実に確かにコロナは病気ですから正しく相応に怖がればいいのですけど都知事とかが選挙の宣伝のために顔を売ろうと思って煽りに煽ってテレビに出まくるなんてことをしてくれたものですから人々の中のイメージが増大して、必要以上にコロナを怖がるなんて状況ができてしまったわけです。

そのように、イメージを優先することで現実を見なくなる、というのは他人に自分のコントロールを明け渡しているようなもので、他人から与えられたイメージに従って怒りや苦しみや欲望や逃避など諸々の感情が動いている状態になっているわけです。

コロナですと恐怖のイメージが植え付けられたわけですけど、昔から、基本の戦略として欲望のイメージを植え付けるということは常に行われていて、嫉妬とか他人と持ち物を比べるだとか色々な面でその影響が出て、その結果、更なる消費と行動が喚起されているわけです。

そういう、永久にいつまで経っても終わらない欲望の渦に巻き込まれるよりは、瞑想で心を穏やかにする方が100倍幸せなわけです。