神様の気持ちというのは感謝そのものというのはそうなのでしょうし、自身の体験からしてもハイヤーセルフのエネルギーは私の胸の奥に常に存在し続けていて感謝の気持ちが絶え間なくそこにあって周囲にまで広がって満ちているわけですけど、最近になってふと思うのは、そのような感謝であったとしても、まだ外側かもしれない、ということです。
感謝や愛、満ちているという幸福感、永遠とも感じられるその包容感はそれはそれでハイヤーセルフあるいは神様の一端の気持ちを表現しているとは思うのですけど、それはそれとして素晴らしいことには素晴らしいのですけど、まだ、本当の神様というところに至るには、もうほんの少し、先に進む必要があるように思うのです。
このように、感謝や愛、満ちているという状態は、神様という視点からすると、実はまだ、比喩的に言えば「外側」に過ぎないのかもしれません。
もう一皮剥けると、実のところ、それらは完全に満ちていて、静かで、平らで、生と死、善と悪、全てに浸透しているのが神様であることが理解できるようになるように思うのです。
今のこの状態であっても感謝や愛、満ちていて神様とも思えるような永遠とも思えるような存在感、生まれることもなく無くなることもない無限とも思えるような永劫の存在を感じ取れているわけですけど、それすらも、本当の神様という観点からすると、まだ外側な気もするのです。
神様の視点に立つと、実のところ、この世全てが透明で、善も悪もないことが本当の意味で理解できるような気がするのです。全ては同一である、というのはそれは今でもその通りだと思いますし、善と悪がないというのも今でもそう思いますし、神様というのは永遠で満ちていて至福だというのはその通りだと思いますし、感謝それのみ、ありがたい、というそれだけの気持ち、というのは神様の気持ちだということはよくわかるわけですけど、それすらも、まだ、外側のような気がするのです。
では、神様とは何かというと、この世を総べる全ての法則、満ちていて、善も悪も全てを包含して成り立たせている物理あるいは魔法のようにも見える超自然的な法則、科学や超科学など科学で説明できていないものも含めたこの宇宙の全て、人の気持ちや葛藤及び悩み、鉱物や惑星、恒星も含めた全てを包含したこの世の全て、それが神様なのだと思うのです。
だとすれば、ハイヤーセルフの愛だとか、神様の愛と普通に言っているのはそのような宇宙全体としての神様であるいわば創造神の分け御霊であって、本当の創造神に辿り着くにはもう一皮剥けないといけないようにも思うのです。