溢れ出る感謝の気持ちがエゴを包み込む

2022-05-06 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

ハイヤーセルフと胸の奥で繋がると感謝の気持ちが溢れ出てくるわけですけど、それは、ただ「ありがたい」という気持ちなわけです。空間、特に胸の奥が愛あるいは暖かいもので満ちていて、その満ちているという感覚は感謝そのものでもあるわけです。

そうして、最初は溢れ出る感謝の気持ちがハイヤーセルフとして認知されるわけですけど、それは、特に最初は受動的なものであるように思います。胸の奥から溢れ出て、満ちていて、感謝が自然と発生する。自発的な現象ではあるのですけど、それは湧き出てくるような感じを伴いますので、受動的なものとして認知されます。湧き出てくること自体は自発的ではあるのですけど、溢れてくる愛あるいは感謝の気持ちを自我が受け止めて「ありがたい」「ありがたい」「ありがたい」と、それだけを認知します。

そこには感謝しかないわけです。「あぁ、ありがたい」それしかないわけです。

そうして、しばらく感謝のみの状態がしばらく続き、割と感謝の状態が安定すると、感謝と自分(エゴ)というものの融合がもう一歩進んで、自我(エゴ)が感謝で包まれて、ハイヤーセルフの感謝の中心に核としてのエゴ(自我)があるように認知されます。

エゴ(自我、アハンカーラ)というとスピリチュアルや宗教界ではよくないもののように認知されることが多いですけど、実際、こうしてハイヤーセルフが自我(エゴ)を包み込んだ状態になってみると、エゴというものは自分というものの核として必要なものであることがわかります。

自分というものはもちろん幻影にしかすぎなくて分霊になったりグループソウルとの融合などをすれば自分というものは再構成されますので本当の自分というのはハイヤーセルフあるいはグループソウル、あるいはアートマンなどと言われる上位のものではあるのですけど、そうは言いましても、この世を生きる上で今いる分霊としての分け御霊としての自分にとっては核となるのは自我(エゴ)な分けです。

ハイヤーセルフと繋がったのち、最初の予想では、ハイヤーセルフに委ねて行ってエゴがどんどんと消えてゆくのかもしれない、と思っておりました。しかしながら、必ずしもそうではないようなのです。確かに、エゴが消えるという面はあって、どんどんとハイヤーセルフに(あるいはざっくばらんにいうならば神様に)委ねることが増えて行ったわけですけど、それは、エゴが完全に消えてしまうというわけではなく、エゴそれ自体が純化されてゆき、エゴが核として重要な働きをするようなのです。

この地上を生きる上でエゴ(自我)というものがとても重要で、エゴは純化こそすれ、消えてしまうことはない、ということなのだと思います。そうして、次の段階が訪れます。


■神様の愛と感謝を受け止める段階から能動的に感謝する段階へ

この辺り、わかりにくいかもしれませんので順番を追って段階的に記します。

□第一段階

元々は、エゴ(自我)が胸の奥のハイヤーセルフの溢れ出る感謝と愛を受け止める、受動的な状態でした。

それが安定すると、次の段階が訪れます。

□第二段階

エゴ(自我)がハイヤーセルフの感謝と愛によって十分に満たされると、それに伴い、エゴが純化され、ハイヤーセルフが優勢になります。ハイヤーセルフが拡大します。その時、エゴ(自我)は核としてハイヤーセルフの中に留まります。

元々、第一段階であったとしてもエゴ(自我)とハイヤーセルフの感謝とは物理的・三次元的な場所としては同じ場所にあってその意味では元々分離はないのですけど、第一の段階ではまだ感覚的に、どこかまだ一体として動いていなくて、エゴ(自我)とハイヤーセルフの感謝とは受ける側(エゴ)と(感謝を)与える側(ハイヤーセルフ)という分離が若干はまだ存在していたように思います。

第二段階になると、エゴ(自我)とハイヤーセルフの感謝との分離はほとんどなくなって、エゴがハイヤーセルフの核として安定して存在するようになります。

ここでいうエゴとは純化されたエゴ(自我)で、ハイヤーセルフを信頼しており、ハイヤーセルフの愛と感謝を常に受け止めているエゴです。このエゴは満たされていてハイヤーセルフの愛あるいは神様の愛に常に感謝しています。


この第二段階で、神様への感謝とは何であるのか、を知ります。

第一段階では、神様からの愛、あるいはハイヤーセルフからの愛と感謝を(エゴが)受け取って「あぁ、ありがたい」と受動的に頂く段階でした。

第二段階では、エゴ(自我)が能動的になって、神様からの愛あるいはハイヤーセルフの愛と感謝と共に、周囲の空間全て、それはつまりは神様ということですけど、周囲の全てが神様と認識して、周囲の神様に向かって「ありがとう」と、エゴの側から神様に向かって感謝する、という、能動的な段階になります。

キリスト教や幾多の宗教で「神様に感謝しましょう」とは、この段階を意味するものなのかもしれません。

第一段階の、神様の愛を受け取ることもそれはそれなりに難しいとは思うのですけど、この第二段階になってみると、これもまた、なかなか説明が難しいことであるように思います。

宗教がいうように「愛しましょう」とか「感謝しましょう」などというのは簡単ですけど、実際には、ハイヤーセルフ(あるいはアートマン、など言い方は色々とありますが)と繋がらなくては神様の感謝とか愛がわからないのだとしたら、なかなか階梯としては大変だなぁ、と思うわけです。

■補足
ですけど、それほど悲観的になる必要はなくて、こんな小難しいことを理解しなくても、特に日本の場合は、特に女性は生まれながらに愛と感謝を知っていて普通に毎日を神様と繋がって生きていますので、そんなに気にする必要はないのかもしれません。理屈というのは一応あるにはありますけど、愛と感謝を知っている女性からすれば「何を小難しいこと言ってるの」みたいな、当たり前すぎるお話だったりします。