肉食は怒りを蓄積する

2022-05-14 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

肉と言っても色々ありますし、調理人によっても違いますけど、一般的には肉を食べることで怒りが蓄積されます。

実際のところ、生きているものは全てが循環しておりますので絶対者(アートマン、ブラフマン)の立場においては肉食だろうが草食だろうが変わりがないと言えばそうなのですけど、相対的なこの世の中であるジーヴァ(相対的な自分)の生きるこの世界においては、肉食をすることは、相対的な世界の現実である他人あるいは生き物の怒りを体内に取り入れることになります。

怒りであろうが何であろうが宇宙の絶対者(ブラフマン)の現れだというのはそれはそうなのですけど、この世で生きるというのは相対的な自分の世界を生きているわけですから、その相対的な世界というレベルにおいて同様の相対的な世界の他人あるいは他の生き物の怒りを受け取ってしまう、というわけです。

大体においてスーパーなどで売られている普通のお肉は養豚場とか養鶏場とかそういう大量生産に適した場所で育てられているわけで、その場合、最終的には結局は殺されてしまうわけで、その殺された時の怒りがお肉に残ってしまっている場合がかなりあるわけです。

放牧とかで良い環境で育てば割とマシだったりしますけど、安い肉とかは環境の悪いところでストレスを溜めた家畜がそのまま機械的に殺されてしまうわけで、元々生きている時のストレスが更に加わって、お肉に負の念がこもった状態で売られることになります。

そして、それを食べた人間が怒りの感情を抱えてしまう、というのもよくあることなわけです。

実際のところ、多くの人はそんなことに気づいていなくて、ただ単に美味しいか美味しくないか、くらいしか気にしていなくて、お肉に怒りの念が乗っていなければ割と美味しいお肉になったりもするのですけど、全く怒りが乗っていないお肉なんていうと相当に気を遣って育てるしかなくて、もちろん高いものになるわけです。

一方で、料理人というのも重要で、機械を使って工場で作られる場合はあまり関係がなくて元々のお肉の負のエネルギーがそのまま残るわけですけれども、レストランや食堂で料理人が作るときは料理人のオーラが料理に乗ることになります。

調理するときに料理人が丁寧に作った場合はお肉から負のオーラが取り除かれて料理人のオーラに置き換わって顧客に提供されます。

また、家庭などでは、母親など料理する人が家族のことを思って料理しますので、その料理の段階で負のオーラが取り除かれて料理する人のオーラがお肉に宿ることになります。その結果、家庭で愛を持って作られた料理というのはお肉であったとしても概して美味しいわけです。

ですけど、そのときに、元々あったお肉の負のオーラはどこに行ってしまったかというと、母親など料理をする人が吸い取って自分のエネルギーで浄化していたりするわけです。女性というのは子供を産まなくてはいけないので概してエネルギー総量が多くて、料理をするときに多少オーラを使っても問題ない場合がほとんどです。男性の場合は料理をするにつれて負の念を溜めてしまったりしますけど、妻のエネルギーで補っていたりします。

ですけど、そうして、元々負のエネルギーを帯びているものを料理する必要が本来はそもそもなくて、肉食というものをそもそも減らしていけばそれに伴う負のエネルギーの悪循環を減らすことができるわけです。

肉体の栄養素として肉食が重要みたいなお話も聞きますけど、ここで言っているのは栄養素のお話ではなくてエネルギーの質のお話です。栄養素のためにエネルギーの負の面を考慮しつつ肉を食べる、というお話もありますので、必ずしもベジタリアンを推奨しているわけではありませんし、日本ですと特に出かけたときにベジタリアンは困るでしょうから、そこは現実的なところで、なるべくお肉を食べない、というくらいでいいように思います。

食べ物の味というのは割と慣れの面が大きくて、肉食だった頃からベジタリアン食の比重が増えていった頃にはベジタリアン食の淡白な感じになかなか慣れなかったのですけど、今はベジタリアン食の方が素材のそのものの味を感じられて美味しいと感じることが多くなっています。

しばらくベジタリアン中心で食べていると、ものにもよりますけど、肉が混じっているだけで気持ち悪い味に感じられてしまうことが多いようになりました。味というのは結局は慣れでしかないのかなぁ、と最近は思います。