瞑想していて集合意識のようなものに繋がると、時折、その意識として「人口が多すぎる」「人口は減らすべき」という同意のような希望のようなものを感じ取ります。それは、「もう沢山だ」というようなうんざりとした感じを伴い、「人口を減らしても良い」という集合意識の許可が既に降りているような気が致します。
世界は今まで人口が増えることに対して許容的で、どの宗教指導者も国の指導者も人口が増えることに対して割と肯定的であったわけですけれども、集合意識からすると、どうもそうではないようなのです。
こういうことを言うと聖書の一節を持ち出したりして「人口は自然に増えるのが良い」みたいな論舌をとうとうと語る人が時々いますけど、そう言うことじゃないんですよね。既に今の、この現実の集合意識が「もううんざりだ」と言っているのであって、それは、割と神の意識とも繋がっているわけです。
神と言ってもこの地球あるいは地域を総ている地域的神ではあるのですけど、それは、割と集合意識そのものでもあるわけです。その、神と言っても良いし集合意識と言っても良いその意識が、人口削減に既に同意しているわけです。
かと言って、どのように人口を減らすかという手段については何も言及していなくて、それは意識の同意には含まれていないようです。
ただ、手段というのは概して突如として不意に現れるもので、既に意識は人口削減を許可していますから、何がしかのチャンスがあればその行為・手段・出来事というのは許されて現実化されます。
実際のところ、意識における許可がない状態においては何がしかの行為・手段・出来事が現れる可能性があったとしても許可がないので現実化されずにそのままアストラルの意識あるいはコーザル(原因、カーラナ)の種のまま残り、現象として生まれずにそのままの状態が保たれて、実際の現実にはならないわけなのですけど、原因(コーザル、カーラナ)が現実の方に近づいた時に既に意識の側から「許可」がなされているのだとしたら、そこで意識の方の歯止めがかからずに割とすぐに現実化してしまうのです。
今の状況は、既に意識の側からの人口減の同意が集合意識でなされていて、あとは、種が現実に近づいてきたら割とすぐに現実化してしまいかねない、かなり危うい状態なわけです。こういうのが現実化する時は割とあっという間に数ヶ月とか1年ちょっとでガラッと現実が変わってゆきますから、今はコロちゃんが収束したかに見えて落ち着いて元の生活に戻ったかのように一見すると見えていますけど、次に来るのが必ずしもコロちゃんの類似とは限らないですけど、何がしか現実がガラッと変わって人口減になるという許可が既に集合意識でなされているわけです。
今回、ウクライナとロシアが戦争をしましたけど、ここ4年前後で世界は大きく変わるように思います。
とは言いましても個人として出来ることはほとんどありませんので、悔いがないように毎日の人生をしっかりと生きて大切な人と一緒に充実した人生を送ってゆけば良いのかなと思います。
こういうのは心配しても割と無駄で、なるようになりますので、日々の人生を充実させてゆくのが一番なわけです。