幽体離脱のスピリチュアルでは真実が見抜きにくい

2022-05-19 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

幽体離脱は一つのスピリチュアルの形ではありますけど、その段階では真実がなかなか見抜きにくいような気が致します。幽体離脱の場合、実際のところ、時間と空間が自由になるという他は他人の理解においてはあくまでも「外」から眺めるか、あるいはオーラの融合(これはお薦めしません)によって相手を知ることになります。

幽体離脱の状態においては時空を超えられますから物事の発端や葛藤の原因など、慣れればその思念を辿ってその原因を追求できるようになります。ですけど、本当の意味で、その出来事およびその意味、及び、その根本的な意義やそれが起こった理由などは、幽体離脱ではなかなか知り得ないように思います。

これは、ある種、スピリチュアルが進んで他人の心が読めるようになったり他人の状況、特に親しい人の気持ちや状況およびその人に起こった出来事などが走馬灯のように見えるようになったとしても、あくまでも外から見ているに過ぎないわけです。

表面的な気持ち及び意図を読み取って、その読み取りができたところで、あたかも相手を100%理解したような気持ちになってしまうのが割とスピリチュアルが成長したばかりの人が陥る一つの罠であるわけです。しばらくすると、「あれ。100%理解したような気がしていたのに、何か、違うな・・・」と、大抵の場合は自分で何かおかしいと気付くわけですけれども、実際のところ、そのようにスピリチュアルで感じ取ったり見たり聞いたりしたようなことは、所詮は外側から見た状態に過ぎないわけです。

自分のことを思い返してみればそれは明らかで、表層で何か意図して思考が走っていたとしても、奥底の意識において違う意図をしている、なんてことは普通にあるわけです。まあ、ある、というのも語弊がありますけど、スピリチュアルがそれほど成長していない人の場合は、そうして、表層の顕在意識と奥底に深層意識あるいは潜在意識とが乖離しているのが普通なわけです。一方で、それなりにスピリチュアルが成長すると顕在意識と潜在意識とが繋がってきて乖離がなくなってきて、潜在意識がやがては優勢になって元々潜在意識だった部分が顕在意識のように面に出てきて、それこそが集合意識と繋がっていたりするわけですけれども、そのようになる前は、顕在意識と潜在意識が乖離しているのが普通なわけで、スピリチュアルで他人の気持ちや意図を読み取るというのは大抵の場合は顕在意識を読み取っているだけですので、顕在意識であれこれ思っていたとしても、それは、本当の意図とは違っていたりするわけです。


■スピリチュアルで他人の心を読むより愛に生きた方が良い

幽体離脱の場合に読み取るのも大体は同じで、幽体になれば他人の近くに寄りやすくて観察もしやすいですけど、あくまでも外側から見ているだけなのです。思考みたいなものも割と簡単に読み取れたり読み取れなかったり熟練度によって多少の違いはあるとしても、読み取れたとしても顕在意識でしかなかったりするわけです。

その時に、潜在意識まで読み取れるのならばそれはそれで良いですけど、幽体離脱の時に潜在意識を読み取れるのだとしたら、それは、べつに幽体離脱する必要もなくて、普通の普段の生活の中で潜在意識を読み取れる筈なのです。まあ、読み取りやすさという面では多少の違いはありますし、瞑想中の方が読み取りやすいとかはありますけど、幽体離脱というのは体がないだけですから、幽体離脱した状態で更に瞑想っぽい状態にした場合は肉体を使って瞑想と同じになるというのは理屈としてはそうなのですけど、幽体離脱した時は割とふわふわしていますから、瞑想、という意味で言いますと、実は肉体を持っていた方が割とやりやすいわけです。(まあ、人にもよるかもしれませんけど)

どちらにせよ、能力というのは幽体離脱したからといってそこまでは変わらなくて、潜在意識を読み取れるのであれば普段の生活でも読み取れる、というのは理屈としてはそうなのですけど、ほとんどの場合、読み取ってるのは顕在意識でしかないわけです。まあ、それで割と十分と言えばそうなのですけどね。

自分が興味を持っていたり親しい人の状態を見るのは普通に興味を持ってみることができますけど、カウンセリングとかを依頼された場合に幽体離脱をして他人を観察してみたところで、ほぼ100%、世俗的なお悩みだったり大したことのないお話ばかりです。本人はそれなりに悩んでいらっしゃるようですけど。(補足ですけど、スピリチュアルで他人のカウンセリングを求める層と、自分で修行で切り開く層とは割と違う人たちのような気が致します。少し被ってはいるとは思いますが。)それに、依頼とかで見る場合は他人の人生に興味もないですしね。まあ、幽体離脱をして観察、という意味では、幽体離脱とは関係なしに生きている状態で見るのと見通せる範囲はそこまでは違わなくて、単に時空の制限が外れて過去などを割と自由に見れるという自由度は高まりますので、「知っている」という点では相手を驚かせたり凄いと思わせたりもできたりしますけど、本当の意味で他人を理解したのかというと、幽体離脱しただけでは、他人の理解なんてそうそうできないと思っています。

幽体離脱して他人を観察して、95%くらいは理解したと思ったりしたこともあったようななかったような、そんな感じではありますけど、そのパーセントというのは所詮は顕在意識のことかと思うと、奥底は見抜けていなかったのかな、という気も今はしています。

そもそも、大抵の人は顕在意識だけで生きていて、潜在意識がほとんど動いていない・・・ というと語弊がありますけど、顕在意識と潜在意識とが繋がったスピリチュアルで生きていなくて、カウンセリングとかしても顕在意識の願望や悩みばっかりで、とても薄っぺらいのですよね。カウンセリングなんて意味あるのかなぁ・・・ とか思ってしまいます。あまり意味ないのかなぁ、という感じです。

そんなスピリチュアルなお話で過去を当てたり物事の原因を突き詰めるより、そんなことは忘れて、人生を生き生きと感謝と愛を持って生きる方が何倍も重要なのだと思います。スピリチュアルで相手を見抜くだとか心を読むだとか・・・ くだらないです。まあ、たまには余興でいいですけどね。その程度です。ちょっとしたお遊びみたいなものです。

結局、顕在意識だとか願望だとかそういうところを超えなくてはいけないのであって、幽体離脱とかのところで止まっているとその先に辿り着かないのかなぁ、という気も致します。