LGBTよりも自分の性を全うした方が良い

2022-06-06 記
トピック:スピリチュアル: LGBT

昨今LGBTが目立ちますけど、実のところ性別は選んで生まれてくるのが普通ですから、自分がしたいことがまずあって、やりたいことがしやすい性を選んで生まれてくるわけです。

昨今のLGBTも「性は選べる」みたいなことを言っていますけど、私の言っていることはそれとちょっと違っていて、私が大前提としているのは「体と心の性別は一致させるべき」と言うお話があって、その上で、やりたいことに合わせて肉体の体をあらかじめ生まれる前にきちんと選びましょう、というお話です。意外と生まれる前に無頓着に性別を選んでしまう人もいて、もっとしっかり選ぶべきなわけです。

これは、昨今のLGBTのように、肉体の性とは無関係に心ではどちらの性でもどのようにも生きていい、みたいなお話ではないわけです。このLGBTの主張は、生まれる前に自分が性を選ぶことができるという「選択」をそもそも捨てていて、自分が肉体としての性を選ぶことができないという盲目的な誤解に立っているわけです。一般的にはそう誤解されていますけど、実際は、選べるのです。選べないのだとしたら転生の経験が少ないかあるいはそもそも良くわからず何となく選んだということで、それはもう、しょうがないですよね。そこまでは救えないです。

性というのは生まれる前に選ぶことができて、その性でやりやすいことをするのが基本なのです。

この言葉だけを聞くとLGBTが言っていることと似たように聞こえてしまうかもしれませんが、繰り返しになりますけど、私が言いたいのはLGBTの言うように「体の性とは別に、自由に心の性やあり方を選ぶべき」と言うお話ではなくて、むしろ逆で、「生まれた体の性別があるのなら、心もその体の性別に合わせるべき」と言う立場です。

LGBTだとか周囲からあれこれ言われて「性と、らしさ、仕事、とは関係ない」なんていうお話に惑わされる人が増えれば増えるほど、人生が意味不明になっていきます。

仕事に専念して男らしい生き方をしたいなら、わざわざ女の体を選ばずに男の体を選んで生まれればいいだけのお話です。

同様に、女らしく生きたいだとか、家庭に尽くしたいだとか、夫を支えたいだとか、そのような女としての生き方を全うしたいと思うのならばわざわざ男の体を選ばずに女の体を選んで生まれればいいのです。

そうして、「らしさ」があった方が、本来その道を追求したい人が「やりやすい」と言う面があって、女らしさを追求したいのならば「らしさ」が社会にある方が追求はしやすいのです。同様に、「男らしさ」がある社会の方が「らしさ」を追求しやすいのです。

これが、LGBTみたいなお話が主流になって「どちらでも良い」と言うことになると、「らしさ」を追求したい人が追求しにくい、という状況になり、文化の洗練の妨げになり、それはそのまま、洗練されていない文化が出来上がってきてしまいます。それはそれで一つの文化の形ではありますけど、洗練されていない、という文化になってしまうわけです。

又、LGBTのお話が何故に良くないのかというと、肉体の体にはエネルギーの形というものが絶対的に存在していて、その肉体の性別とエネルギーの質というものは強く結びついているからです。男の体には男らしさのエネルギーの形というものがあり、女の体には女のエネルギーがあり、男らしさ、女らしさ、というのはエネルギーの質と密接に結びついています。

LGBTの気持ち悪さはそこにあって、エネルギーの質が体の本来の質と異なる形で心で認識されて表現されているから強い違和感を感じるのであって、本来のエネルギーの質を自覚して自分の性に目覚めれば、肉体と同じ性別に落ち着くのです。スピリチュアルをするのならば体のエネルギーの質を強く自覚する必要があって、自覚すれば自分の性別と自分のエネルギーと一致しているということが明確に自覚できるわけですけれども、盲目な生き方をしていると周囲の意見に惑わされたり自分のエネルギーを自覚できなかったりして、そういう状態ですと「自分ってもしかしたら性別不一致なのかな」とか勘違いをしてしまうかもしれませんけど、それはただ単に、自分のエネルギーが混乱していて自分のエネルギーの質を自覚していないだけなのです。

何故に、LGBTみたいに意味不明なお話が出てきているのかというと、まず1つは社会を混乱させたいという勢力がいるというのが1点。もう一つは、これは確かに遥か以前からちょっとした問題ではあったのですけど、まだ転生の回数が少なくて性というものがよく分かっていない人の場合は自分で性を自覚したり選ぶことができずに何となく目の前に準備された体を選んでしまって、その結果、「どうして自分は男なのだろう」「どうして自分は女なのだろ」みたいに悩むパターンがあります。それはもう、転生の回数が少なくて経験がないのだから、仕方がないですよね。そこまでは救えないです。ただ、最近のLGBTの風潮によりこのように転生の経験不足な人が偏見の目で見られにくくなった、という良い面はあると思います。ですけど、転生を繰り返したり、チャクラの目覚めにより自分の性を自覚するということはあって、その場合、大抵の場合は、最初にチャクラを自覚した時の肉体の性とチャクラ及びそのオーラの方向性が決まって、しばらくは同じ性を繰り返すように思います。

実際のところ、まだ転生の回数が少なくてチャクラが全然動いていない場合は男でもないし女でもないのです。ただの動物的感情と性欲だけが多少あっても、メンタルな面における性の目覚めはチャクラ以前にはまだされていなくて、しばらく転生を繰り返してからチャクラが少し目覚め、そしてようやく自分の性を理解するわけです。まだチャクラがそれほど目覚めていなくて、本当に、文字通り、まだ性別が未分化の状態にある、という場合は転生の回数が少なくて経験が少ないわけですから、文字通りどちらの性別でもないわけで、そういう人は一定数いますから、それは例外として扱って、それをLGBTとかに分類するのであればアリかもしれませんけど、今の世間でのLGBTとかとこの位置付けとは異なっているわけです。

それとは別に、今回の性で男でやりたいことがあると思って女から男に切り替えるという場合、あるいは、その逆も普通にあります。そんな時は、最初は心と体が一致しないのが当たり前なのです。その場合、性に目覚めれば体に結びついた性になっていきますけど、子供の頃は前世での性を引きずるものなのです。

LGBTが言うことを間に受けて大人になっても前世の性のまま生きていたら、それは単に子供のままで成長していないだけのお話です。大人になったら、特に思春期を超えたら体と心が一致するのが当たり前で、それができないのだとしたら可能性は2つで、一つはまだ転生の回数が少なくてそもそも性に目覚める土壌ができていないか、あるいは、何がしかの精神的な問題があって大人になることができていないか、のいずれかの場合がほとんどかなと思います。

LGBTが言うみたいに生まれた時に性別不一致だから一生そのまま、なんて方がおかしいわけです。

ですから、小学校くらいまで自分がLGBTかなと思うのは、それは思春期以前ですからそんな勘違いあるいは性の未自覚があるのが当たり前で普通のことで、周囲からあれやこれや言って「あなたはLGBTだ」みたいに思い込ませたらその子の一生を台無しにしてしまうくらい罪作りなことなのです。そんなことより、思春期に異性と近づけて自分の性を自覚させた方がよっぽどその子のためになります。それでも自覚できないのなら転生の回数が少なくて土壌ができていない可能性が高くて、あるいは、精神的に問題がある場合もあるわけです。

昔であればそのような例外を排除していたのかもしれませんけど昨今のLGBTの風潮はそのような例外をも受け入れる、という点に関しては良い面ではありますけど、他の面に関しては、なかなか誤解が多いお話かなと思います。