瞑想をすることで、毎日のようにこのように心地よく眠ることができるようになります。朝の目覚めの時のぼんやりとした感じはありますけど一旦起きてしまえば頭もスッキリしていて、明確に頭が動きます。
瞑想をしていない場合は、もちろん人にもよりますけど、このように清々しく眠れる時は数年に一度あるかどうかだったりします。
瞑想が深まるにつれ、快適に眠れるようになるわけです。
これは人によっては最初から快適に眠れるという場合もありますけど、それは元々の瞑想の熟度が深いという場合で、生まれた時から既にそれなりの熟度だったりすることはありますけど、そうでなくて瞑想がそれほど深まっていない人の場合は割と眠りは不快な感覚が伴うわけです。
眠りは疲れを取るためというのは共通していても、寝る時の清々しさは瞑想をしているかしていないかで大きく変わってきます。もちろんそれは瞑想の熟度によって変わってくるわけで、瞑想がそれなりに深まれば、眠りの快適さは十分にあるわけです。
瞑想がそれほど進んでいない場合は寝る時に悪夢や辛い思いに悩まされていたりします。寝言で苦しみの声やトラウマに対する叫びを発することもあるかと思います。瞑想が進んでいないということは葛藤がそれなりにあってトラウマの解消も進んでいないということですから、寝ることでそれらが表面に出てきて、その表面に出てきたトラウマや葛藤に寝ている間に悩まされることになります。
普段の生活で意識が朦朧とした時やトランスに入った時にトラウマの声を発してしまうことと、睡眠の時に寝言でトラウマの声を発してしまうことは症状としては割と似ていて、どちらも、深層意識に横たわっているカルマの種が浮かび上がってきたりトラウマが刺激されたりして葛藤として現れ、それにより苦しんでトラウマの声を寝言あるいはトランス中に発してしまったりするわけです。
これらは全て、瞑想がそれほど進んでいない時に現れる現象であって、流派によっては魔境とか言って避けていたりしますけど、実際のところ、これらの症状はトラウマの解消のために必ずと言ってよいほど通り抜けなくてはいけない道であり、避けることはできないわけです。避けようとして向き合わなければただ単に表面上だけ道徳を身に付けただけのつまらない人が出来上がるだけであり、本物のスピリチュアルが成長するためには自分の奥底に眠っているトラウマと向き合う時間が必ず必要になってくるわけです。
この辺り、魔境を避けるべきと言っている流派と、魔境は必ず通る、と言っている流派があって、どちらを信じるかは各人次第ではありますけど、私は後者で、魔境は避けられないという見解です。
そうして、魔境に向き合ってトラウマをある程度解消し、瞑想もそれなりに深まって初めて、ぐっすりと快適に清々しく眠ることができるようになるわけです。必ずしも瞑想が極限にまで高まらなくても、ある程度まで深まりさえすれば十分に心地良く眠ることができるようになります。