悪というのは自我が自分だと勘違いするが故に発生する

2022-06-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

全ては勘違いなわけです。理解が足りていないだけであって、悪というものは一瞬にして存在しなくなるものなのです。悪という絶対的なものがあるわけではなく、ただ単に、理解が違うのです。

これは、わかっているようでいてわかっていない時が多々あります。

自分では自我以上の真なる自分を自覚していると思っていたとしても実は自我しか見えていなかった、などということがよく起こり得るのです。そして、そのように思い込みと理解が堅固であればあるほどそれは「悪」という形となって顕在化します。

スピリチュアルでよく言われているように、自我というものと真我が存在するのです。自我というのはヨーガで言うところのアハンカーラであって、マナス(記憶)が存在してチッタ(心)として揺らぎ、それが理性的になってブッディ(知性)として活動をした際にその反作用として出てくるのがアハンカーラ(エゴ)であるわけですけど、そのアハンカーラとしての自我(エゴ)が自分だと思い違いをすることに加えて条件が加わると悪になるのです。

エゴだけではそのまま悪ではないのですけど、環境や経験などの条件付けが加わることで自我が強まり、自我を何ものよりも優先させるようになり、結果、悪が生まれます。

これは、スピリチュアルを勉強していたとしても未だ真我を見出していない場合には悪に落ちる可能性があるのです。

道徳、あるいは、躾、はたまた習慣によって悪が悪として開花しない場合も多々あるものの、環境や経験によって自我が芽生えて悪になる場合があるのです。

それを防ぐためには、まず環境。芽があっても悪の栄養を注がなければ悪は育ちません。

次に、一番大切なのが、真我を見出すこと。真我とはヨーガ的に言えばアートマンですしスピリチュアル的に言えばハイヤーセルフとなりますが、本当の自分が偉大な「世界」あるいは「全体」の一部であることを見出せば、もはや悪に落ちる必要すらなくなります。何故なら、真我、アートマン、あるいはハイヤーセルフを見出したならば自我というものがそれらの中に消えてしまうからです。

自我というものは、本当に小さなものなのです。

ただ、小さいと言っても、アートマンあるいはハイヤーセルフがあまりにも広大なので、自我というものがその中に溶けてしまう、と言うことなのです。

ですから、実際には、その時は、自我(エゴ)すらも拡大しているのです。ですけど、その拡大する自我すらも、更に拡大するアートマンあるいはハイヤーセルフの中に溶け込んでしまいますから、自我が自分勝手に悪になるということはあり得ないのです。