スピリチュアルは理解と実践の繰り返し

2022-07-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

よく、スピリチュアルは実践だとか、理解だとか、そのどちらなのか、みたいなお話がありますけど、それは両方なのです。ですから、どちらか、みたいなお話をしてもあまり意味がないのです。その人生の時節において理解が重視される時期もあれば、実践が重視される時もあるわけです。それは人によってタイミングが違うのですから、どちらが良いとか言ったり比べたりしても意味がないわけです。

理解から始まって実践し、そしてまた理解へと戻る、という場合もあれば、何がしかの強烈な体験から始まって理解を求める場合もあるように思います。理解から始まって実践、そして理解へと進むんだり、あるいは、いきなり強烈な体験から始まって理解を求める場合があるわけです。

ですから、どちらも最初になり得ますし、実践と理解のサイクルは何回も繰り返されるわけです。

人によってどちらが大切かを重視する場面は違いますけど、どちらも大切なわけで、とは言いましても、前の段階での理解と後の段階での理解はかなり異なるわけです。ただ、言葉にしてみると割と似通っていたりします。ですけど、理解の深さは全然違うわけです。

同じ言葉を言っていても、スピリチュアルが何周目なのかでかなり違ってくるわけです。

私の場合は子供の頃の幽体離脱の時に時空を超えて見聞きしたりハイヤーセルフや守護霊と話をしたこと、それに、ハイヤーセルフの中に溶け込んで(グループソウル相当)、その意識を共有したりして真理を直接的に認識したことが割と原体験になっていて、私のスピリチュアルの基本はそこにあるわけです。

その後、そのことを理解したり説明したりするためにスピリチュアルのことを調べたりしたのがもう30年以上前のことで、それはそれで有益ではありましたけど、実践面が足りていなかったわけです。

その後、一般社会に出て苦労もして、仕事はゾーンに入って歓喜に満ちるようになったりして、実践面を続けながらしばらく生きてきたわけですけど、ここ5年かそのくらいは再度、スピリチュアルの学習を重視するようになってきています。

割と同じようなことを見聞きして本を読んだりしているとは思いますが、理解度が格段に違うわけです。

最初に理解した時は腑に落ちなかったことも、今ではわかることがあって、スピリチュアルには理解のための時間が必要なのかなとも思います。